過剰に、という指摘はつまり、必要以上に、という意味だろう。

農家の人が、必要のない薬を、わざわざ金を払って買って、苦労して田んぼや畑にまいているとしたら、これはおかしな話だ。

そんなバカげたことはありえない。

農家の人たちは、おそらく、「必要最小限しかまいていない」と主張するだろう。

実を言うと、この"必要最小限"というのは、少しばかりクセモノなのだ。

新聞などのマスコミが、「日本の農業はクスリ漬け」という場合、諸外国での使用量と、日本の農薬使用量を比較して言うことが多い。

一年間に国内で使用された農薬の量(有効成分量)の単純比較をすると、日本は、アメリカ、フランスに次いで第三位になる。

だが、それだけで比較しても仕方がない。



天然の殺虫成分ヒドラジン

マッシュルームに含まれる発ガン物質は、天然の殺虫成分ヒドラジンだ。

発表のやり方が、あまりにもセンセーショナルで、いかにアメリカ的と言っても、ショック療法の度が過ぎる、という気がしないでもない。

しかし、エイムズ博士は「考えられる発ガン危険性のランキング」レポートを発表した理由を「われわれは、あまりにも無知だった。なぜ自然のものに発ガン性があってはいけないのか。人間の作ったものだけが害があると思い込んでいてはいけない」からだと語っている。

そして、合成化学物質にも危険なものが数多くあるにせよ、自然界には、それ以上に危険なものが、何も調べられないままに放置され、安全だと信じられていることを強く指摘している。

彼の狙いは、合成物質に対する過剰な危険視に言わば警鐘を打つことだ。


30年後、50年後に、1990年あたりをふり返って、"よくこんなキケンな農薬を使っていたもんだ"と言われる可能性もあるわけですが、科学というものは絶えず進歩しますから、そういう可能性を否定することはできません。

しかし、いま現在の科学というのは、50年前とは比べものにならないくらい進んでいます。

もちろん、この先50年たてば、私たちの想像以上に進歩するでしょう。

しかし、現時点で大筋として私達がとらえている環境科学や代謝研究の水準は、これから詳細がどんどん解明されていくんだけども、出発点がそもそも間違っているということには、おそらくならないはずです。

ニュートンの万有引力の法則なんて、いまは、言葉としては小学生でも知っていますが、あのニュートン力学というのは、17世紀に確立した学問成果です。

20世紀になって、量子力学という学問によって、ニュートン力学で説明できない、いろいろなことが解明されました。

しかし、ニュートン力学は否定されたり、間違っていた、となったわけではないんです。



一般の人は農薬を毒だと思っている。

ところが、専門家は違う。

「殺虫剤は虫を殺すように作られている。別な生き物である人間に有害だとはいえない」と考えるのである。

ある物質が虫に対して有害であるとして、それが人間にも有害であるかどうか。

これは、量と質の両面から考えていかねばならない。

虫は小さい。

ダニは目に見えないぐらい小さいし、蚊だって体重なんかないようなものだ。

キャベツにつくアオムシだって、小さい。

人間は、小学校6年生で40kgを超えている。

成人男子だと65kgくらいだろう。

子供だってアオムシの4万倍以上だ。

虫を殺すのに必要な量はほんのわずかで、その位なら人間の身体には何の影響も及ぼさないことが大半だ。

「いや、それはおかしい。たとえほんのわずかでも、有害なものを身体に取り込むのは絶対にいやだ」と言う人もいるだろう。


農業粗生産額(残留農薬検査)

農業粗生産額は、4年連続して2千億円を超え、北海道全体の20%を占めている。

水田はほとんどなく、主要作物は小麦、ばれいしょ、てん菜、豆類で、いずれも生産高は全道一だ。

ほかに、酪農も盛んで、乳用牛、肉用牛とも飼養頭数はやはり全道一位。

これら畜産が農業粗生産の40%強を占めている。

日高山脈と大雪山系を背に、太平洋に面したこの地方は、夏は比較的温暖だが、冬の寒さは厳しい。

サケの遡上で有名な十勝川流域には、十勝平野が広がる。

ワインの里・池田町や、今は廃線になった広尾線の愛国駅、幸福駅など、全国に知られる観光地も多い。

しかし、この広大な十勝平野は、約80%が火山灰地であり、土壌条件は決して良いものではない。

今日の、一大農業地帯を作りあげたのは、土地の改良を続け、寒冷地農業に挑んだ先人達の、血のにじむ労苦に負うところが大きいという。




同じ成東の○○さんは、ハウスイチゴを20haと稲を80a作っている。

奥さんと二人で農作業をやっている。

「ハウスイチゴは10年くらい前から始めたが、二人ではこれくらいの規模でちょうどいいところです」。

やはり作業が大変なために、規模も制約されるようだ。

「稲は農協の方でもいろいろ手伝ってくれるので、そんなに手間はかからない。だけどイチゴはそういうわけにはいかない。病気や虫も発生するし、受粉のためにハチの管理までしなければならないからね」

○○さんは、イチゴの品評会で、県知事賞をもらっている。

それだけに生産物の品質には気を使って作っているそうで、「ハチを放す時期は殺虫剤が使えなくなるので、開花前に十日に一度くらいはまいている」そうだ。


たとえば土壌残留ですが、日本なら日本の、アメリカならアメリカの土を使って試験しなければならない。

その場合の温度条件は、日本では25度、ドイツは22度、オランダは15度と25度および5度をそれぞれ、となっています。

つまり、土壌残留だけで同じような試験を4つも5つもやる必要がある。

それから、一度登録になっても、その国のガイドラインが変わることがあります。

その場合も、新しいガイドラインのやり方で、追加データを求められるんです。

2万、3万やってみて一つというのが、一応は世界の平均と言われている。

しかし、わかりきったことだが、3万やればかならず一つ成功する、ということではない。

極端な表現をすれば、何十万個もの化合物をスクリーニングしても、それが全部はずれるかもしれないし、たまたま試してみた一個がうまくモノになるかも知れない。



残留農薬検査
ここまで慢性毒性試験が順調に進んでいたところだが、ここで問題が起きた。

これは文字通り"とらぬ狸の皮算用"になってしまった。

本当に"まだわからない"ものだったのだ。

慢性毒性試験期間の104週間が終って、最後に、試験動物の解剖をしたところ、ラットの腎臓に病変がみられたのである。

濃度の高い試験群に病変が出てしまった。

安全性研究所主席研究員の方によれば、「これは、加齢しなければ出てこない因子なんです。78週目でも全く異常が見られない。寿命が終わりそうになって、推定では100週目あたりでははじめて発現しているわけですが、投与が影響してることは確かだったのです」という、関係者にとっては何とも泣くに泣けない結果である。

しかも、もう一つの実験動物マウスには全く異常がなく、ラットの方だけにあらわれたのだというから、さぞかしうらめしい気持ちになったことだろう。

とにかく、善後策を協議した。


問題なのは、子孫に対する影響である。

「慢性毒性試験で、最大無作用量を算出したではないか。毎日摂取し続けても安全なはずだ」という人もいるかもしれない。

だが、ちょっと待ってもらいたい。

人間(に限らず高等動物)の生理作用というのは、そう単純ではないのである。

こういうことが解明されたのは、最近のことなのだが、子孫に対する影響というのは、やはりそのために独自の試験を行わないとわからないことなのである。

医薬品の例であるが、有名なサリドマイドの服用による奇形の発生は、この薬を妊娠34日目から50日目までに服用した場合に限られ、この期間の中でも、たとえば35日目と40日目では奇形のあらわれ方は違うのだという。


殺菌剤の場合は、あらかじめ薬剤をかけた植物に病菌をつけて予防効果を、発病した植物に薬剤をかけて治療効果を、そして殺虫剤の場合は、害虫に塗ったり食べさせたりして、それぞれの効果をやはり時間を追って観察していく。

住友化学工業の宝塚総合研究所は、日本国内の農薬研究所としては、最大の規模をもっている。

毎年約7千の新しい化合物を、スクリーニングにかけるが、だいたいこの一次試験段階を突破して次に進むのは、せいぜい20%程度だという。

一次試験を突破した化合物は、当然のことながら二次試験に進む。

一次試験で使用したポットは、直径五㎝くらいの(会社によって少しずつ違う)ものだったが、二次試験では、その二倍以上の(といっても文庫本程度の大きさ)のポットを使う。

残留農薬検査

1987年の夏、北海道にアワヨトウという虫が異常発生した。

やや多目に発生した程度なら、殺虫剤をまいて防除できるのだが、他所から飛んできて一斉に繁殖しはじめたからたまらない。

上川地方のトウモロコシ畑や麦畑を根城にして増え、家屋の壁や道路も一面びっしり、という事態になった。

何しろ、ちょっとした坂道でも、ヨトウムシのアブラでスリップして登れないというありさまだ。

農協や、農業資材店には、殺虫剤の注文が殺到した。

ところが、「農薬」は、使用基準が決まっていて、農耕地にはまいてもいいが非農耕地の適用がない場合には使うことができない。

ある町では、畑にまく殺虫剤が5年分も売れたというほどの異常発生ぶりだから、非農耕地用に適用のある殺虫剤もあっという間に在庫が切れる。

「この殺虫剤を使えば、家屋や道路の虫も殺せる」とわかってはいても使えない。

そんな、笑うに笑えないことも起こるわけだ。

残留農薬検査


日本の栽培条件

日本の単位面積当たりの農薬使用量が多い理由の一つは、栽培条件もある。

一つは連作障害であり、もう一つは、ハウスなどの施設栽培が多いことである。

作物は、種類によって2年続けて同じ畑では作れないものがある。

それは、土壌から特定の栄養分を吸収するために、土のバランスが崩れるからだ。

2~3年なら大丈夫という作物もあるが、5年も6年もたつと、やはり土壌中の栄養分のバランスや土壌微生物の生態系は偏ってくる。

連作による障害が全くないのは水稲だけだという人もいるほどだ。

ところが、日本では、法律によって一部の作物と産地が"産地指定"で決まっていることもあって、連作障害が避けられなくなっているという事情もある。

各農家の所有する耕地が狭いために輪作がむずかしいこともあり、大げさに言えば、"わかっていても防げない"状況なわけだ。

連作障害を回避するためには、輪作をすればいいのだが、それができないときは、クスリをまくしかないわけである。

残留農薬検査

PCPとDDTとは(残留農薬検査)

PCPは、農薬としては、殺菌剤や水田用の除草剤として使われたが、他の用途でも使用された。

昆虫に詳しい小西正泰博士によれば、「魚介類に対する毒性が強いことを利用して、山梨県などでは地方病を防止し、根絶するために使われました。

『日本住血吸虫』の中間宿主であるミヤイリガイを駆除するのが目的でしたが、これは除草剤としての使用以前に、かなり積極的に使われました。

ついでに付け加えますと、こういう貝類は、ホタルの幼虫の餌ですから、貝が激減した結果、餌を失ったホタルも絶滅に向かうことになったという事情もあります」

実は、PCPのほかにも、農薬が防疫用など他用途に使われた例はたくさんある。

農薬の安全性が議論される時、必ずと言っていいほど取り上げられるDDTは、その代表例だろう。

かつては、万能の殺虫剤のように言われ、実際、非常に効果が高かったから、農業用よりもむしろ、ノミやシラミなど衛生害虫の駆除に多用された。




残留農薬検査

天然化学物質に関すること

ある化学物質が動物に突然変異やガンを発生させないことが明白に証明されない限り、それを人に接しさせてはいけない」と主張し、環境保護団体などの人たちの英雄的存在だった人だ。

1983年に、天然化学物質に関する試験データを発表する少し前あたりから、エイムズ博士は考え方を変え、現在では、当時の発言は極端すぎたと本人が釈明している。

そんな背景もあって、このレポートは、非常に大きな議論を巻き起こした。

ABCテレビがニュース番組で取り上げたり、リーダーズ・ダイジェスト誌が誌上討論を企画したりした。

エイムズ博士に対しては、「企業の御用学者に変節したのか」という抗議の声も起こった。

学者の間からは、「ランキング作成の基準が適切ではなく、不正確だ」との声も出ている。

残留農薬検査

農薬は、作物に残留することがある。

光にあたって分解して、全く残留しないものや、散布してから十日くらいは残留してしまうものなど、個々の化合物によってタイプは違う。

農薬の残留が問題になるのは、農作物を食べることで、たとえほんのわずかずつでも、人間の身体に入ってくるからだ。

その時には何も感じないとしても、長い間、農薬が残留した食品を食べ続ければ、10年後、20年後に健康がそこなわれることはないか。

あるいは、発ガンのキケンや、子孫への悪影響はないか。

これは、当然の心配だろう。

長期間にわたって、少しずつ摂り続けた時の悪影響-慢性毒性は、人類の将来にもかかわる問題である。

国際的にもWHOやFAOが「絶対に起こさない」という共通認識に立って、規制を行うことが確認されている。

具体的な法規制の内容は、各国の実情によって少しずつ違うが、関係者によれば、日本は先進国の中でも、最も厳しい基準が設定されているという。

まず、その制度から見ていこう。

作物に対する残留農薬の基準は二種類ある。

一つは、食品として流通する作物に残留することが許容される農薬の濃度で、「農薬残留基準」といい、これは、厚生省のナワバリ。

もう一つは、新しい農薬を登録する時に、その農薬の適用内容(対象作物、使用の時期、回数、量など)を設定するための数値で、「農薬登録保留基準」という。

これは、環境庁が農水省に対して示すことになっている。

「ややこしいな」と思うブログ読者が多いだろう。

その通り、ややこしいのだ。

「残留基準」は、「食品衛生法」に定められていて、市場の農作物を検査し、基準値を超えていた場合には、その作物の出荷を止めることになっている。

それから、「登録保留基準」は、「農薬取締法」に定められているの安全使用基準が決められるまで
だが、これは八百屋店頭の作物をチェックするのが目的ではない。

「この農薬は、○○PPm以上残留しないように使用基準を設定しなさい」

というものである。

残留農薬検査
自然の生態系は、どの程度まで変えていいのだろうか。

ほど良いバランスを保つのは、意外とむずかしいことだ。

地球上の人口がどんどん増え、山林や原野が切り拓かれていく中で、これからはさらに多くの問題が発生するに違いない。

原始時代への後戻りができない以上、その解決策は、科学の進歩に委ねられねばなるまい。

過剰に、という指摘はつまり、必要以上に、という意味だろう。

農家の人が、必要のないものを、わざわざ金を払って買って、苦労して田んぼや畑にまいているとしたら、これはおかしな話だ。

そんなバカげたことはありえない。

農家の人たちは、おそらく、「必要最小限しかまいていない」と主張するだろう。

自然の生態系 その1

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ホタルの話を中心にしてきたが、細かな事情は異なっていてもトンボもだいたい似たような経過で、都市部から姿を消し、一時期多用されたPCP(ヤゴの餌になる魚が死ぬ)や、残留性の強い殺虫剤BHC(昭和四六年に規制された)などの影響で、郊外でも数が減ったようだ。

この十数年で、地方都市だけでなく、小さな町や村でも下水道の整備が進み、衛生環境が著しく改善された。

そのため、トンボの餌になるハエやカが激減したことも、大きな原因といえるだろう。

夏の風物詩であったホタルの光や、秋の到来を告げてくれた赤トンボの乱舞、これらが失われつつあることは、本当に寂しいことだが、ハエやカがうるさく飛びまわる不衛生な環境は誰だって歓迎しないだろう。

残留農薬検査
農薬問題が議論される時に、よく出されるのが、安全かキケンかという話だ。

この問題に詳しい、残留農薬研究所理事長の福田さんに話を聞いてみた。

ー農薬は安全ですか。

「安全です。ある物が"安全だ"という時には、使おうとするものの性質をよく知り、その上で上手に使う、ということが基本であるはずです。それができれば安全だし、できない時には危険ということです。言い換えれば、安全性という言葉と危険性という言葉は、まったく同じことを右から見るか、左から見るかの違いだけなんです」

「危険性というのは、農薬なら『農薬の持っている固有の性質(毒性)x農薬を浴びる濃度(暴露濃度)×浴びる時間(暴露時間)』で決まります。

毒性の強さはそのものの固有の性質です。

それを理解したうえで、暴露濃度×暴露時間が設定されるわけで、これが使い方です。

そして使いやすいものと使いにくいものがあり、あんまり使いにくければ、実用的ではないということになるでしょう。」

植物なら植物に特有の生理作用、たとえば光合成やアミノ酸生合成だけを阻害する物質を与えてやれば、植物は枯れる。

光合成は、虫にも人間にも無関係である。

虫は脱皮しながら成長していくが、人間も草もそんなことはしない。

虫には脱皮を阻害する物質を与えてやれば、脱皮できなくて死ぬ。

草や虫の、どういう生理作用を攻撃して殺すのか。

その攻撃の的になるところを作用点という。

この、作用点がどこか、ということも、殺虫剤や除草剤が、人間にも有害かどうかを判断する材料の一つとなる。

ただし、植物の光合成を阻害するものが、人間に全く安全だという保証もない。

摂取量が多くなれば、別な生理作用で人間に害を与える可能性があるのだから。

残留農薬検査
旭川市から南へ、クルマで30分ほどのところにある美瑛haでは、今、農協がこんなスローガンを掲げて、地元農産物を、本州方面、とくに首都圏に売り込もうとしている。

小麦、大豆、小豆、菜豆、ばれいしょ、てん菜が、この地域の主要作物だが、最近では、アスパラやトマト、メロンなどの園芸作物、スィートコーンなどにも力を入れている。

これらの農産物を、旬の時期に、年間契約した都会の消費者に宅配便で送る方式も取り入れている。

「産地間競争が、本当に厳しくなってきているんです。年間契約の宅配便なんかは、進んでいるところではもうとっくにやっていることですが、このあたりの農業は年々苦しくなっていますから、何とかして、ブランドカのある産地になろうということで、これから取り組んでいく、というふうに聞いています」

「病害虫防除は3~4回、それに除草剤」というから、この地域の平均か、むしろ少ない方だ。

「いいコメ作ろうと思ったら、とにかく毎日田んぼの中に入って、良く見なきゃなんない。

農薬を何回まくかなんてことは、最初に決めるんじゃないんです。

日照や雨の影響がどう出ているか、こっちの田んぼと向うの田んぼで、稲の生育状況がどう違うか。

虫がついていないか、病気は出ていないか、良く見るわけです。

そして、これは、(農薬を)ふった方がいい、となった時に、必要に応じてふっているとです。

その結果、今年は何回だった、ということになるんです」

残留農薬検査
佐賀、福岡両県は、減農薬、無農薬による稲作りの盛んな場所だが、久富さんは「減農薬という場合、基準があいまいでゴマカシもありそう。無農薬はまず無理」ときっぱり言い切る。

「このあたりは、(ウンカなどの)飛来害虫が入ってくるところですから、殺虫剤を使わんことには、まともに出来んとです」

ごく最近では、86年に、九州一円から中国地方にかけての西日本に、ウンカの大発生があった。

この時は、「あちこちに坪枯れが見られたし、ひどい所では反枯れもあった。

大被害にならなかったのは、農薬のおかげです」

もちろん、久富さんは、「農薬を多投すべし」と言っているわけではない。

それは、品質に対するチェックが非常に厳しくなっているためだ。

りんごの品質を決めるうえで、食味が、まず大切なことはもちろんだが、玉の大きさや色の具合など、外観も品質検査の重要な要素となっている。

傷みや虫喰いは論外だが、皮の表面にわずかなシミがあるだけでも商品価値がなくなってしまうのだという。

「買ってもらえないものを、いくら作っても仕方がない。

高く売れるものにするために、農薬やら反射シートやらに、金をかけるんだ」

残留農薬検査
さて、今さんの話に戻ろう。

「昔も今も、りんご作りは虫や病気との闘いだ。

農薬抜きではやれねエな」約1.8haのりんご園の年間の防除回数は、10~11回。

農協の防除暦では13回になっていても、発生予察をうまく活用し、果樹園をよく観察していれば、散布回数は減らせることもある

「(散布は)手間もかかるし、金もかかる。

減らせるもんなら減らした方がいい」というわけだ。

それでも、以前と比べると、農薬の使用回数は増えている。

それほど国際競争は甘くないのである。

10年前まで高い国際競争力を誇った企業ですら、国内の工場を閉鎖して、労賃の低い中国などに移転している例は連日のようにマスコミで報道されている。

規模拡大では対抗できないと悟ったのである。

実は、こうした動きは日本の農家では四〇年も前から常識だった。

そこで選んだ道が兼業農家という営農だった。

特に稲作は機械化が進み、田植え期と稲刈期に集中的に農作業を行えば、あとは見回る程度でコメは作れる事情もあって、現在にいたるも、兼業農家がコメ生産の大層を占めている。

皮肉にも規模拡大策に従った稲作農家がコメの値下がりで営農不振に陥り、政策的な助成強化が必要な事態に直面している。

残留農薬検査
勤務時間を短縮して労賃を削減する換わり、従業員が生活費を維持するためのアルバイトを容認する考えだ。

従来、企業は従業員に対して全身全霊で働くことを求めてきた。

それは終身雇用制度と共に従業員と企業の運命共同体を形成する日本式の雇用形態でもあった。

しかし時代は変わり、外食産業や小売店などではパート雇用の主婦を取締役に抜擢する事例も登場するようになった。

主婦の立場からの経営に対する提案は、消費者からの提案でもあり企業経営にとって有益だと判断しての動きである。

企業経営はグローバル化、国際化の激しい競争の中で、従来の規模拡大、生産性の向上という経営手法では競争に勝ち残れないことを学びつつある。

つまり、コメを主食とする日本型食生活が日本人の健康促進に寄与すること。

それが食料の自給率の向上につながり、生産者だけでなく、消費者にも大きく貢献し得ること。

そして、水田が持つ国土の水資源管理、つまり巨大なダム機能としての水田が大きな役割を果たせること。

それだけでなく、稲作が日本の農耕文化の中心であり、数々の宗教、神社仏閣の文化的背景にもなっていることまで指摘する。

このようにコメの消費拡大策は、国民、国土、自然環境、文化にとって良いことだらけなのだと訴えている。

それにもかかわらず、国民はコメの消費拡大に動かない。

この現実を前に生産者は、コメの消費拡大の実現性を疑い、食料の自給率の向上までも疑っている。

残留農薬検査
過去の実例もあって、とても実現するとは思えない自給率の向上を生産者はにわかに信じられないと醒めた目で見つめている。

またしても裏切られるのでは、と疑っている。

そんな目標を信じる方がバカを見ると距離を置いている。

そこまで生産者が疑うのは、いくつもの要因がある。

その典型的な政策事例がコメの消費拡大策である。

コメの消費拡大という個別政策のところでも触れたが、農水省は熱心に消費拡大の啓発を行い、学校給食に米飯食を奨励している。

また、新聞、テレビを使ってPR活動を展開している。

目標を達成するためには、今後は歯止めをかけるだけでなく、増やす対策まで必要になってきた。

ただし、対策を講じないで、事態を放置していた場合の趨勢予想値だと四一〇万ヘクタールよりはまだましな水準であり、対策の効果がないわけではない。

現実は対策のおかげもあって、趨勢の減少傾向にブレーキをかけてはいるが、目標を達成できていない。

そして2010年度の目標達成は絶望的になりつつあるといった現状である。

この実態を踏まえて、優良農地の確保政策をどうするかである。

改めて国民レベルでの議論が必要なのではないかと思う。

残留農薬検査
1998年度の優良農地面積は四一九万ヘクタールだったが、農水省では、このまま対策を講じないで、減少傾向を放置すれば、2010年度には三六九万ヘクタールまで減少すると予測している。

農地は一度荒廃すると、再び農地に戻すのに多くの労力と経費がかかる。

何としても農地の荒廃を阻止し、極力、優良農地を確保したいと考える農水省は、数々の対策を講じて減少に歯止めをかける方針だ。

そこで農水省は2010年度の優良農地面積を四一七万ヘクタール維持するとの目標を掲げ、2001年度の優良農地面積の目標として四一八万ヘクタールという数字を設定していた。

さて、結果はどうだったか。

四一六万ヘクタールである。

早くも九年も先の2010年度の目標値を下回った。

野菜農家を取り巻く環境

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野菜農家を取り巻く環境は、農水省が考えている以上に厳しさを増していると理解すべきだ。

それが農家の生産意欲を減退させ、作付け面積に表われているのではないか。

生産量が趨勢値を上回ったのは比較的天候に恵まれたという要因に過ぎないのだろう。

野菜の増産政策は見直しを必要としているとも言える。

消費者の立場からも、野菜の生産対策は、その鮮度管理、長距離輸送と衛生・安全管理の問題など、サラダなどで直接、口に運ぶ食材だけに関心の高い食料政策となるだろう。

幸い、2002年になって中国野菜の輸入量は減少に転じた。

中国で農薬汚染騒ぎが起こったからである。

ただし、これは一時的な現象と理解すべきだろう。

残留農薬検査
文部省が策定したもの
・食塩や脂肪は控えめに。

・適正体重を知り、日々の活動に見合った食事量を。

・食文化や地域の産物を生かし、時には新しい料理も。

・調理や保存を上手にして無駄や廃棄を少なく。

・自分の食生活を見直してみましょう。

さて、数値による政策評価の検証結果だが、いずれも好ましい方向とは逆方向に進んでいる実態が示された。

つまり目標の達成度は悪いという結果である。

脂肪分の多い食事は増えているし、コメ、野菜、大豆などの消費は目標を下回っているし、食べ残しと廃棄も減少目標からは遠い状況だ。

政府の「食生活指針」に対する認知度もわずかに向上はしているが、低いままだ。

政策評価では、脂肪からの熱量摂取の割合を2001年度で二八・五%という目標数値を定め、さらに個別品目についても、一人当たりの年間消費量の目標数値をコメ六五・〇四キロ、野菜一〇ニキロ、大豆七・○キロ、牛乳・乳製品九五・三キロなどと定め、この数値と現状の趨勢数値との比較で、政策が有効に働いているか、検証しようとしている。

また、食品の廃棄、食べ残し量を五年間で五%削減する目標を立て、2001年度でどれだけ目標に近づいたかを検証しようとしている。

ちなみに[食生活指針」とは2000年3月に、農水省、厚生省で、望ましい食生活の実現に向けて普及、啓発を行っている。

その内容を要約すると、次の一〇項目となっている。

・食事を楽しみましょう。

・一日の食事のリズムから、健やかな生活リズムを。

・主食、主菜、副菜を基本に、食事のバランスを。

・ごはんなどの穀類をしっかりと。

・野菜、果物、牛乳・乳製品、豆類、魚なども組み合わせて。

農産物の貿易自由化という時代の波に抵抗して、自由化を渋ってはみたものの、次々と農産物の自由化を認め、最後には、コメの市場開放、さらには関税化という自由化に踏み切り、そうした過程で食料の自給率を恒常的に低下させてきた。

これに対応する農業振興策として、農業の構造改革に取り組んでいるが、それも目に見える成果が得られず、今だに零細規模の農家が大層を占めたままだ。

個別の農業プロジェクトを見ても、失敗の事例が多い。

秋田県八郎潟の干拓事業を展開し、そこに大規模農業を誘致した。

しかし、そこに入植した農家が直面したのはコメの減反政策だった。

できれば、農水省を先導するような政策提言と、消費者をうならせ、信頼を取り戻すような対策を取りまとめて欲しいところだが、農協団体、特に地方の農協団体の首脳、幹部の危機感は不足しており、その体質改善は時代から大きく遅れている。

その意味からも、今回、全国農協中央会が採用した新たな全国農協中央会会長の選出方法の改正は、全中代議員による投票という、より民主化された方法であり、現会長らの農協体質改善への意欲は評価するが、それが遅れ気味の農協改革の促進剤になることが肝要である。

それでは過去の農政はどうだったのか。

一般に、農政は失敗の連続だったと言われている。

保護農政のために日本の農業は国際競争力を失った。

残る7件は,保険や投資,特許権といった問題をめぐるケースで,米国にいわせれば,これらについては現行ガットが取り扱っていないのでガットに提訴しなかったということになる。

他国を最も果敢に攻めてきた米国は,他方では,ECにつづいて最もひんばんに他国からガット提訴を受けてきた国でもある。

1980年代だけをとってみても,米国が他国から提訴を受けたケースは29件にも及ぶ。

続いて多いのがECの22件,日本の13件,カナダの6件などである。

米国を最も攻撃してきたのは,ほかならぬECである。

しかも紛争は1980年代に集中している。

米国とECの間には,攻撃されたら撃ち返すという報復合戦(たとえば,いわゆるパスタ戦争など)が時折りみられるが,いくつかの数字は,ガット提訴についてもそのような関係にあることをうかがわせる。

なお,カナダも1980年代にかなりひんぽんに米国をガットに提訴した。

米加間の紛争の頻発が,両国をして1988年に米加自由貿易協定を締結させる大きな誘因となった。

1974年通商法第301条に基づく調査は,1991年10月までに合計87件行なわれたが,そのうち40件は1985年から91年までの6年間に行なわれた調査である(1989年と90年に行なわれたスーパー301条調査を含む)。

見過ごしてならないのは,このような301条調査の増加が,ガット提訴の増加につながったことである。

なぜなら,同通商法上,他国のガット違反の措置(いわゆる「不公正措置」)については,通商代表はまずガット上の紛争処理手続を踏むことが期待されているからである。

後述のように,301条の大きな問題は,このガットの手続きを最後まで守り切らないで,特定期間のあとは一方的制裁をとれることとなっている点にあるが,それでもガットの手続きを完全に無視しているものでない点に留意する必要がある。

たとえば,米国通商代表は,1990年中に14件の貿易紛争について301条調査を終結ないし停止したが,このうち7件はガット紛争処理手続がなんらかの形で使われたケースである。

とりわけECはガットの紛争処理メカニズムが裁判所のそれのようになることにはかねてより強く反対しており,あくまでも政治的な配慮の余地を残した紛争処理の枠組みにしておきたかった。

このような考え方の違いは,パネル報告の理事会における採択の方法や仲裁制度の導入の問題をめぐって表面化した。

パネル報告の採択がコンセンサスで行なわれる。米国やニュージーランド等は,パネル報告の採択を当事国が妨害できる従来の手続きでは紛争処理の実効性が担保されないとしてこれを見直すことを主張した。

なかでもオーストラリアは,理事会がパネル報告を採択する際には,紛争当事国ならびに当該紛争案件に関心を表明した関係国を除外すべきとの主張を行なっている。

このような考え方がいわゆる「コンセンサス・マイナス・21」と呼ばれるものである。


紛争当事国以外の第三国の関与の問題,事務局長による斡旋の強化,非政府系パネリストのいっそうの活用,拘束力のある仲裁制度等について具体的な改善策が提案された。

米国をはじめEC,日本,カナダ,オーストラリア等主要国が提案を提出し終わった1988年初頭の時点では,パネル審議の迅速化に関わる手続き上の改善については,各国提案に共通点が多く,議論はまとまる方向に向かった。

このため,紛争処理はガット機能と並んで1988年末の「中間レビュー」で他の交渉グループに先立って交渉成果を実施に移す対象項目となった。

しかしながら,ガットの紛争処理の基本的な性格づけについては,以前から存在していた意見の対立がそのまま尾を引いていた。

つまり,調停的役割を重要視する国(EC,日本,韓国,ブラジル等)と紛争処理における法の支配の強化を主張する国(米国,オーストラリア,ニュージーランド等)との間の対立である。

さらに上記(c)は特定の締約国の主体的行為による利益の無効化・侵害を企図してはおらず,(b)と(c)はいわゆる"non・violation case"(無違反案件)を取り扱っている。

このように,第23条1項にいう無効化・侵害という概念は単にガットに対する違反行為を前提とするものではなく,こうした違反の有無は無効化・侵害というガット上の権利と義務の均衡が崩れた状況を生み出す一要素と考xられている。

その上で本条項はなんらかの行為や状況の存在ゆえに失われた権利と義務の均衡を回復させるために調整の機会を設定するとともに,このような協議を求められた締約国には申立国に対し「友好的な配慮」(sympathetic consi-deration)を払うことを要求しているのである。

このことからガットが起草された時点では,ガット上の義務履行確保のための厳格な紛争処理協定というよりは権利と義務の均衡を調整する機能の方に重点が置かれていたといえよう。

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