わたしは、以上のことを知人のアメリカ人に語ったところ、彼らはすぐ「わかった。
そのとおりだ、日本は絶対にコメを自由化すべきではない」といった。
なぜアメリカ人は、わたしの主張を理解したか。
わたしの主張が、たんに経済問題ではなく、理論であり哲学であり文化論だったからなのである。
わたしたちは、日本人にとってコメ(残留農薬検査済み米を含む)のもつ価値は、たんに経済的なものではなく、民族のアイデンティティを左右する精神上、形而上的に重要な価値なのだということを、いまあらためて確認する必要がある。
国家の独立をいいながら、その論理的根源であるコメを放棄してどうなるというのか。
日本のコメの付加価値は、そこにあるのだ。
残留農薬検査
コメントする