2014年5月アーカイブ

たとえば、英国は1964年に輸入課徴金を、68年に輸入供託金制度を導入した。

米国は1971年に輸入課徴金を導入したが、いずれも短期間で撤廃した(ガット基本文書集参照)。

これは、長期間継続すれば全般的に国内産業の競争力が落ちて回復がむずかしくなることが懸念されたためである。

上記の宣言のなかで、先進国は国際収支の擁護を目的とする貿易制限措置をできるかぎり回避すべきであると述べており、この宣言の採択以来先進国は第12条を援用していない。

途上国のなかには慢性的に国際収支問題をかかえている国が多い。

しかし、輸入の数量制限や過重な産業保護が経済発展や産業競争力強化の障害になることが近年強く認識されてきた。

その結果、国際収支上の問題を残しながらも第18条Bの規定の援用を返上した途上国が、ブラジル、アルゼンチソなど南米に多い。

韓国はコメの輸入制限を合法化しようとして、第18条Bの援用に執着したが、1990年第11条国に移行した。

両者の規定の間の差異は少ないが、前者は毎年、後者は2年ごとにガットで協議しなければならない。

ただし、1972年以来一部の途上国(国際収支状況が明らかに悪い国など)は資料提出だけの簡易な協議手続で協議義務を果すことが認められている。

第2次大戦後、西ヨーロッパ諸国と日本は第12条を援用して輸入制限を行なっていたが、経済が回復して国際収支状況が改善するにともない、次々とIMF協定第14条国(国際収支上の理由で一時的に為替制限ができる国)から第8条国に移行した。

IMF第14条を援用できないガット加盟国は、ガット第12条も援用できないため、ガット第11条国に移行した。

日本は1963年にガット第12条の援用撤回を通告した。

日本はこのとき以来輸入の数量制限を維持する資格がなくなり、輸入自由化を進めてきた。

しかし、少数の農産品に対してはガット第12条は先進国に国際収支状況の急激な悪化があったときに、かつては時々援用されてきた。

ガット第11条1項は輸出入の数量制限の廃止を求めているが、その例外として、国際収支状況が悪く外貨準備が危険なほど少なくなっている国に輸入制限を行なうことを認めている。

ただし、1979年に採択された「国際収支の擁護を目的とした貿易措置に関する宣言」は、輸入制限の代わりに貿易阻害効果が最小な措置(たとえば、輸入課徴金や輸入供託金)を選択すべきであると規定している。

課徴金は関税のように、価格機能にもとつく保護措置で、輸入産品の全体か大部分に一律に課税される。

また、同宣言は輸入禁止は避けるべきであるとしている。

価格機能に基づいた政策手段が数量規制より優れているとの経済政策上の判断に基づいた決定であった。

輸入制限については、先進国には第12条の規定、途上国には第18条Bの規定が適用される。

これまで一般協定の紛争処理手続とその付属協定の紛争処理手続との間に若干の相違が見られた。

新しくつくられたサービス貿易一般協定および貿易関連知的所有権協定も紛争処理手続を必要としている。

これらのガット関係の全分野を包括した「統一紛争処理手続」が作成された。

ガット上の義務の停止(たとえぽ、関税譲許を停止して関税を引き上げる)は、ガット違反が是正されないときの対抗措置として認められることがある。

この対抗措置をとるには、紛争処理機関の承認を要する旨規定された。

対抗措置の範囲については、次の原則が提案された。

上訴機関は7人のメソバーにより構成される。

4年の任期で、再任できる。

1件を3人が担当。

再審はパネルの報告書で扱われていた法的問題およびパネルによる法的解釈に限定される。

理事会は上訴機関の報告書を、満場一致の反対がない限り、自動的に採択しなけれぽならない。

これまでガットの勧告や裁定の受諾と実施がすんなりとは行なわれず、もめて日時を要したことがあった。

上訴制度はガット勧告の受諾と実施を円滑化させることを意図している。

ガットの紛争処理手続を使わずに、ガット違反やガット上の利益の無効化または侵害の有無を一方的に判断し、対抗措置をとってはならない旨が合意されようとしている。

米国通商法301条の適用のように、米国自身がシェリフと裁判官を兼ねて一方的正義を押し付けるようなことを回避するためである。

日本は専守防衛で、カウンター・パンチが少ないので遠慮なく打ち込まれているようである。

他方、米国はECを攻撃するときは、強いカウソター・パンチを予期して慎重である。

日本は経済摩擦を日常課題として有効に対処できる国内体制の確立が急がれる。

水際の専守防衛では有効な防衛は不可能である。

タイムリーな予防的防衛へと脱却することが望ましい。

近年、日本側に正当性があると思われる場合、ガットの紛争処理手続を使ってそれを積極的に世界に示そうとする動きが日本政府に出てきていることは喜ぽしい。

ECのダンピソグ防止税の乱用に関して日本がガットに提訴したのはその一例である。

紛争処理手続改善策の主要点。

ウルグアイ・ラウンドでつくられた紛争解決のためのルールおよび手続きは次のものを含んでいる。

かつてガットの七不思議の1つは、日本はそのガット違反を提訴されるばかりで、他国の日本に対する違反を提訴することが少ないことであった。

これは日本の国際ルール違反のみが多いような印象を世界に与えて、得策ではない。

「日本には法律的解決を好まない風土があること。

日本人が他人の批判を好まないこと。

日本が受け身の交渉に慣れ、積極交渉の必要性をよく理解していない」という説明をガット事務局内でしたことがある。

それでは大貿易国のやり方としてまずいのではないか、というのが一般的反応であった。

今後、世界経済の相互依存度が増すに従って、経済摩擦は増えるばかりであろう。

国際交渉や紛争は、ゲーム的要素を多分にもっている。

そこで、論理を展開したらどうか、と。

「われわれ日本人の共有分母はコメ(残留農薬検査済み米を含む)文化で、政治・経済・宗教は分子だ。

ところが欧米人は宗教を共有分母として、その上に政治・経済・文化をもっている。

ここに日本人と欧米人の根本的な世界観のちがいがある。

日本の政治家は、アメリカにたいして、もう日本のコメはやめた、アメリカの輸入のコメ(残留農薬検査済み米を含む)でいいと思うといったのでは、政治ができない。

それは、あなた方がキリスト教をやめて日本の宗教でいくんだといったのでは、政治ができないのと同じなのだ。

日本は八百万の神をいただいているから、キリストでもなんでものみこむ、共有する。

それはコメ(残留農薬検査済み米を含む)文化が共有分母だからなのだ。

稲作の世界がつくりあげた社会というものが連綿として生きているからなのだ。

日本に絶対的宗教がないのは、コメがいかなる宗教よりもすぐれた宗教だったからだ。

コメをつくり、祭り、食べることが、日本人が生きていくうえでもっとも重要なことなのだ。

そして、そのことが日本民族を生みだした母体なのだ。

いま、コメ(残留農薬検査済み米を含む)の自由化をめぐる日米摩擦は、実は分子である経済摩擦ではなくて、日本人のアイデンティティにかかわる根本的な摩擦なのだ」と。

そういうと「よくわかる」というのだが、しかし現実の対応をみていると、本当にわかったかどうかはきわめて疑わしい。

残留農薬検査
これを放棄するならば、それこそ自衛隊なんぞまったく不要ではないか。

しかし、もっとも重要でありながら、もっともわかりにくいものは、こうした精神的・形而上的価値である。

コメ(残留農薬検査済み米を含む)のもつ価値は、それが日本人の政治・経済・宗教・文化などいっさいの《共有分母》であるところにある。

これは他の世界でいえば、キリスト教やイスラム教といった《宗教》にあたる。

欧米人はキリスト教という宗教を《共有分母》として、その上に政治・経済・文化を形成している。

そこが、日本が《極東の島国》でありつづけた根源的な点であり、全世界が「日本はミステリーだ」というゆえんなのだ。

わたしは、日本のある政治家に、「アメリカの国会議員にいっておやりなさい。

あなた方がもし、オレはこれからアメリカの宗教を日本の神道に変えようといって、議員に当選するか」

と問うてごらんなさいといった。

できないというに決まっている。

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わたしは、以上のことを知人のアメリカ人に語ったところ、彼らはすぐ「わかった。

そのとおりだ、日本は絶対にコメを自由化すべきではない」といった。

なぜアメリカ人は、わたしの主張を理解したか。

わたしの主張が、たんに経済問題ではなく、理論であり哲学であり文化論だったからなのである。

わたしたちは、日本人にとってコメ(残留農薬検査済み米を含む)のもつ価値は、たんに経済的なものではなく、民族のアイデンティティを左右する精神上、形而上的に重要な価値なのだということを、いまあらためて確認する必要がある。

国家の独立をいいながら、その論理的根源であるコメを放棄してどうなるというのか。

日本のコメの付加価値は、そこにあるのだ。

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