2014年8月アーカイブ

遠隔地ですと、流通の機構も十分整っていないので、生産されても十分に売れないという問題もでてきます。

そのようなことで不利なものがますますその周辺に残ってしまいます。

結局、そうなると、環境を破壊しながら生産を維持せざるを得ないという状況が、こういう最貧国の場合にでてくるわけです。

そうしますと、現在の問題を簡単に総括しますと、今われわれが当面している問題は、ある程度人口の増加率は減ってきているといいながら人口は増大していきます。

その増大している人口に対して、その人たちが生き延びるためにすぐに食糧を生産する、どんな手段でもいいから食糧を生産すればいいということを問題にしているのか。

それとも、将来にわたって食糧の需給が安定するような形で農業の投資を進めていくことが大事なのか。

そういう問題を考える時期にきているわけです。

本来ならば、こういうことはもっと前から考えておかなければいけなかったことですね。

そうすると、ますます平均的な生産力は落ちていかざるを得ないということになります。

しかも、森林を削ってしまうということになると、エロージョンという問題がでてきます。

そういうことになりますと、耕地の荒廃を招く、あるいは洪水を生ずるというような被害を受けるようになる。

つまり、環境問題ということにもなってくるわけです。

結局、いってみれば、農村の貧困な人たちというのは、生産力の低いところにどうしても集中してしまうという傾向があります。

比較的肥沃なところをもっているところは、割に生産力が高いし、場合によっては市場にも恵まれておりますから、そこで生産されたものを高い値段で売ることもできるわけです。

耕地になりにくいようなところを無理して起こして使うというようなことが行われる。

あるいは、焼畑農業をやっているような場合ですと、移動農耕といいますけれども、今までの移動の期間を短縮してしまう。

そうすると、地力の再生産ということが非常に弱くなってしまいますから、全般的に生産力がますます下がってくる。

ネパールのように、燃料のためとか耕地にするために森林を切ってしまうということをしますと、森を開いたようなところは最初のうちは地力があるかもしれないけれども、すぐに地力が枯渇してしまいますね。

そういうところで農業を継続していくと、ますます地力が落ちてしまう。

しかも、今までは比較的手近なところへ燃料をとりにいっていた、あるいは農業の生産もできたところが、だんだん奥地にもっていってしまいますから、労働的にいっても効率が悪い。

ですから生産が落ちてくる。

もう一つは、少なくとも1980年以降だけをとってみましても、農産物の輸出補助金つきの競争でECとかアメリカの農産物の輸出がどんどん拡大をしていって、そのために被害をうけている国があるわけですから、もし輸出補助金がなければそれぞれの国がどのくらい輸出できたであろうかという考え方も出てくる。

これが正常な市場競争の状況ではないか。

つまり、輸出補助金を除いたとするならばどうなるかということ、これが正常な状況ではないか、そのように近づけるように努力しようという考えです。

これを「公平な取り分」という言い方をしておりますけれども、公平なシェアをそれぞれの輸出国に与えるようにしなくてはいけないという乙とです。

国内的な補助を加え、残留農薬検査業者の受け取り価格、たとえば残留農薬検査業者が受取る米の価格のうちこういう恩恵をうけているのはどれだけかという計算をします。

日本の場合、いろいろな農産物がありますが、米、卵、小麦、牛肉、豚肉、いろいろなものを含めて計算をしていきますと、生産者の受け取る価格の七割が補助による分だというのがその計算の結果です。

ECの場合ですと四割弱、アメリカの場合は三〇数%、ECよりはちょっと低いわけですね。

オーストラリアの場合は一〇%になっていないわけです。

そのようなことからみて、日本はズバ抜けて保護されているという形で攻撃されているわけです。

そういうことで、国境措置も含めて国内的に保護するものもある程度見直していこうというのが一つの課題です。

残留農薬検査
もう一つの要因としては、人口が爆発的に増大していく開発途上国の食糧の供給が潤沢にいかない。

したがって、これもまた援助も含めて、主として先進国からの輸入ということで賄っていくという状況が続いていました。

将来を見通しても開発途上国の人口の低下ということはそれほど考えられないので、やはり不安定な状況が残ると考えるのは当然であったわけです。

そういうことで、各国が農業生産の拡大の努力をしてきました。

中でもアメリカは、世界における最も信頼できる食糧の供給国という自負をもっています。

つまり、どこの国も供給できなくなってもアメリカだけはかならず供給できるのだ、こういう自負をもっているわけです。

当時の、1970年代の半ばまでの世界の食糧需給の問題の中で大きな、いわば市場を撹乱する要因、あるいは市場に対して圧迫要因になっているものを考えてみますと、一つは、ソ連・東欧ー中国も多少そういう影響をもっていますが、1とくにソ連の不作が世界の農産物市場の大きな撹乱要因になっていたわけです。

ソ連が不作になりますと、世界の市場から穀物を大量に輸入することになります。

ソ連は石油の生産もありますし、金もとれるということで外貨はある程度十分賄うことができますから、それでもってアメリカなどから穀物を買い入れるわけです。

そのために、世界じゅうの穀物の需給が非常に逼迫してしまう状況になる。

一九60年代から70年代にかけてそういう状況がかなり顕著にみられていたわけです。

輸入物価の下がった部分が直接消費者の手元に及ぱない機構です。

この問題については、わが国の農業者には一つも責任がないわけです。

流通機構にかかわる問題でして、多分に問題がございます。

賃金とかいろいろな問題がございますから、そっくりそのまま下がるわけではございませんけれども、かなりの部分を、だれかがポケットに入れたということは十分に考えられるわけです。

これは、食品工業等の投入価格と産出価格の比をみればわかるのですが、昭和六二年度あたりは、食品工業は猛烈なもうけを出している。

彼らがかなりの程度、原料が下がった分をフトコロに入れてしまったということが、立証されるわけです。

もう一つ、食い物の問題で難しいのは、食い物というのはそれぞれの国の文化の反映でございます。

それからWPIというのは卸売物価です。

CPIというのは小売物価でございます。

それぞれがどうなっているかということでございますが、端的な例として、皆さんご存じのとおり、わが国の食料供給システムに存在するいろいろな問題がございますために、じつはこういうことになっております。

今回の円高以降などをみておりますとはっきり出てきているわけですが、60年9月を一〇〇といたしまして、その値段の下がりぐあいをみますと、輸入物価はだいたい六割ぐらいストンと下がっていったわけです。

ところが、卸売物価になりますと三割ぐらいしか下がらない。

消費者物価指数になりますと、ほとんど下がらない。

マイナス○・一とかそんな形で、下がったとしてもこの程度でちょぼちょぼです。

これはこの間に、かならず何か問題があるからです。

たまにしか接しないものについては、これを見過ごすということがございます。

一番端的な例は自動車でございます。

自動車は三年に一遍とか五年に一遍しか買わないわけですから、この値段がどうだということについて比較することはあまりしない。

ところが食料品というのは毎日会っているわけです。

これは残念なことに、安くなったことは皆さんだれも覚えていなくて、高くなったことだけをよく覚えているというような不幸な事態がございますから、どうしても食料品価格は、必要以上に高いという意識を持たれがちだということがございます。

現実問題としてけっして安くないことは私も認めますけれども、しかしそういった意味での誤解もあるのではないか。

さらに、MPIとかCPIという言葉がありますが、これは私ども経済学者がよく要約して使う言葉で、MPIというのは輸入物価です。

物価に対する理解。

この物価という問題につきましても、残念ながら国民の皆さんはほとんど正しく理解していない。

よく誤解されるのは、物価と価格です。

これは大変困るのでございます。

物価と価格は全然違うのです。

物価というのは、ある理屈に基づいてつくり上げられた、一つの指数でございまして、皆さんが個々に接している価格とは全然違うもの、架空のものでございます。

一つの資料としてつくられているわけでございます。

さらにもう一つ問題なのは、物価に対する誤解ー価格に源を引いているわけですがi一種の貨幣錯誤というものがあるわけです。

どういうことかと申しますと、日常的によく接しているものの値段の動きについては、必要以上に過敏になるという傾向がございます。