2013年5月アーカイブ

そこに、いまから団塊の世代がふるさとに帰ったところで20ヘクタールや40ヘクタールを担えるわけがない。

しかし、そこに団塊の世代が帰って、都市で経験したいろんな知識、たとえば会計とか税務、それから販売活動や、営業、会社をつくるのが得意な人などいろいろな「人」がいる。

そういう知識を持ってふるさとに戻ってもらつて、法人をつくったり、集落営農に加わって大きな役割を果たしてもらう。

トラクターやコンバインも動かせるだろう。

あるいは、企画販売戦略を任せられる「人」にも来てほしい。

そういう意味での期待感はとても強くある。

そうすると全国に13万余りの農業集落があるわけだから、単純に割っても1集落に40歳未満は1人という計算だ。

1集落平均で農地は約30ヘクタールなので、このままいくと、1人で30ヘクタール担当しなくてはならない。

ましてや、その12万人のうち、男性が8万人。

そうすると男性1人で60ヘクタール、2集落分ぐらいを背負わないといけなくなる。

このようにとりわけ水田の稲作地帯では、もうほとんど担い手がいないという状況である。

いまから10年ほど前と比べると、たとえば新しく農業に就労しようとか、会社で勤めていたけれど農業に戻ろうという人が倍増している。

日本経済が全体的に低迷状況になり、ふるさとに帰って仕事を見つけられれば、という思いもあるのかもしれないが、そういう動きになっているということは大変いいことだと思う。

いま農業を中心に働いている基幹的農業従事者は、およそ230万人。

そのうちの半分以上は65歳以上で、40歳から64歳までの人は96万人で40%、40歳未満の人は12万人しかいない。

一方、流通・消費面での取り組みも課題であり、食生活のあり方の見なおしに国民運動として取り組んでいくことが自給率向上をはかるために不可欠である。

具体的には、「地産地消」の取り組みはもちろん、輸入への依存度を高めている中食・外食・加工業者等に対して安定的な国産農産物の優先利用に向けて、産地間連携や契約取引の拡大、さらには原産地表示の徹底等をすすめていくことが必要である。

特に重要なカギとなるのは、学校給食の取り組みであり、幼児期を含めた食生活習慣の形成に全力をあげる必要がある。

その意味では、平成17年7月に成立した「食育基本法」の具体化対策が課題である。

JAグループの政策提案は、対象とする担い手基準を、認定農業者や特定農業団体、さらには一定の要件を満たす集落営農組織について、全国一律に定めるのでなく、一地域でつくり上げる実態に即した担い手が対象となるよう担い手基準を設定すること」であった。

これに対して、農水省が与党との協議のもとに示した考え方は、認定農業者の都府県4ヘクタール、北海道10ヘクタール、特定農業団体と一定の要件を満たす集落営農組織20ヘクタールの経営規模要件は変えないものの、経営面積は「田」と「畑」の合計としたこと、さらに主たる基幹作業の受託面積(ただし収穫物の販売名義を有する面積であること)を加えることとした。

このことで、規模要件は実質的に相当緩和されたといえる。

やはり、ちゃんとした担い手をつくり上げていくということはJAの責務であり使命でもある。

さらに平成17年10月の「経営所得安定対策等大綱」では細かい議論をした上で、担い手の要件をできるだけ実態にあったものにすることができたのではないかと考えている。

たとえば、北海道は別にして各都府県で考えると、個別農家は4ヘクタール、そして集落営農は20ヘクタールが基準であるが、その規模には畑の面積も加えることができるようにしたことによって、地域によっては、4ヘクタールも20ヘクタールもつくりやすくなったと思われる。

また、作業受託をやっている分も含めることができることとなった。

とりわけ隣の集落の田んぼや作業を集落営農が受託したときに、作業受託の面積も、面積規模にカウントできるようになったので、かなりやりやすくなった。

要は、「地域のなかでつくり上げる担い手」を対象にできるかどうか、これを徹底して追及したのである。

当初は、われわれが集落営農をいえば、農水省のしかるべき幹部から「全中は何だ、かつてのソ連のコルホーズやソホーズの集団農業を主張しているのか」「中国の人民公社をつくろうといっているのか」などと悪ロを言われた。

マスコミ、それこそ大手新聞社からは「全中は相変わらず集落営農などという、経営主体がはっきりしないような寄せ集めの営農組合をつくって、バラマキを温存しようとしている」と、批判された。

しかし、いろいろと言われ続けてきたが、アジアモンスーン下における小規模零細・分散錯圃というわが国の水田農業の場合は、集落営農が妥当だという世論がきちんと根づいてきたと思う。

そんななかで何とか集落営農が制度の対象になった。

地域に根ざすJAとしても、地域農業のなかでここ何年間のうちに誰も農業の担い手がいなくなってしまったら、JAの存在はどこにいってしまうのかということになる。

いうなれば、それは自己矛盾であり、強弁は自分を守るための誰弁だと思われた。

途上国グループがアメリカの国内支持を糾弾したため、これに対抗する意味合いで、アメリカは改めて途上国の市場開放を迫ったのではないだろうか。

途上国といってもブラジルや中国のような発展途上国と、後発途上国の間には相当な格差があり、要求も異なる。

アフリカ、カリブ諸国、太平洋諸国等の本当に貧困な途上国に対しては、香港閣僚会議で開発ラウンドとしての枠組みができたのだから、そこを大事にしないと開発ラウンドの名前が泣いてしまう。

ブッシュ米大統領はぎりぎりになってWTOをここで壊してはいけないという観点も含めて国内支持で一定の譲歩があり得るとの方向を出した。

しかし11月に中間選挙を控えた議会がそれに猛反対し、農業団体もファームビューローを中心に反対したということだった。

そこには、アメリカが深刻な財政危機を抱えて、国内支持もこれ以上維持できないという実態があると思われる。

そうした危機感が農業団体や議会にあって、さらに国内支持がなくなった場合、国際競争力でブラジルやアルゼンチンに絶対に勝てなくなるという危機感も加わり、逆に自分たちの市場アクセス拡大の主張を強弁するという態度になっているとみられる。

アメリカが、自分で要求して市場を開放させた結果が自国の農業者のメリットになっていないではないかとの問題点をぶつけ、それをどう認識しているのかと問いただした。

しかし、ストールマン会長はあくまで自由貿易主義と市場原理主義を主張し続けた。

具体的にはアメリカの砂糖が困難な目にあっても、ほかの作物に転換すればいいとか、市場アクセス拡大が世界に恩恵をもたらすのであればアメリカに恩恵がなくても構わない、自由貿易主義が徹底できればそれでいいと語ったが、強がりとしか聞こえなかった。

ジュネーブでのJA全中と、アメリカのファームビューローのストールマン会長との面談は、かなり激しいやりとりとなった。

全中側は、たとえばアメリカのタリフラインー%という要求では自国の砂糖さえ守れないではないかと指摘した。

また、かつてアメリカは日本に牛肉とオレンジの自由化を主張し、それを実現した結果、牛肉は豪州に、オレンジ果汁はブラジルとの競争に負けてしまったこと、さらにアメリカはウルグアイ・ラウンドでコメのミニマムアクセスを強く要求したが、これも入札で価格を決めるSBS方式では中国との競争に勝てていないことなども挙げた。

一定の大規模農家の創出は、わが国の農業を強くするが、しかしそれでも限界があるのであって、あくまで日本的な経営形態が存在するとみざるを得ないのである。

この点は、同じアジアモンスーンの国々ともよく似てはいるが違うのであって、それぞれの国の経済社会の発展の動向に左右されざるを得ない。

ちなみに、農地の問題は、共産主義革命や社会主義革命を経験した国々でも解決が困難であり、プランテーション等の植民地的農地所有からいまだに脱しきれない国があることを考えても、その国の発展を踏まえるしかないといえる。

また、規模が大きくなればなるほど水田の機能維持のための水の管理が難しくなってくることを考えれば、農地の所有はそのままに利用のみを集積することを基本にして、特定の農家なり集落組織なり法人経営に集中化させることが精一杯とみられる。

そしてその規模も、家族農業の場合には機械化体系や労働力の制約があるし、集落組織や法人経営にあっても効率的な作業体系や、コメ以外の作物を栽培することで労働力の効率的な分散や所得を実現する上での制約があるとみられる。

とくに水の管理や農道の整備、農地利用の秩序の維持、活力と協調をはぐくむ地域社会の維持の観点からいっても、多くの農地所有非農家によって支えられる関係が必要なのである。

寒冷地のノルウェー、山岳地域のスイス、北海のアイスランド、雨の多い島国日本等々は、新大陸型の農業経営には到底なれないのであって、その国にあった農業の形態があるといわざるを得ない。

農地も気候風土も国土の条件も、貿易によっては移動できないのである。

日本の農地所有の形態からすると、多くの零細農家や兼業農家の農地の所有を排除して、特定の農家に集中することはできないとみられるし、それらの農家の住宅や自家菜園の趣味まで奪うことはできない。

わが国の国土条件の下で、果たしてどれだけの規模の農業経営体をつくれるのかを考えると、おのずから限界がある。

日本は新大陸型の農業をつくることは到底できないし、新大陸型のアメリカの農業ですら、さらに新・新大陸型であるオーストラリアの肉用牛生産や、ブラジルの大豆生産に勝てないのである。

国に国境がある以上、おのずから制約を受けるのであって、その国の努力はもちろん必要だが、それぞれの国の農業の実態を尊重し、ともに共存していく貿易の仕組みをルール化することが必要である。