2014年4月アーカイブ

たとえば実用的機能だけでいうならば、一〇〇〇円のものでいいネクタイに、竹下元首相のように一万五〇〇〇円も払うのは、プランドを重視しているからだ。

コメ(残留農薬検査済み米を含む)もそれと同じだ。

日本のコメのブランドは、アメリカのコメ(残留農薬検査済み米を含む)にもイタリアのコメにも絶対にないものなのだ。

コメを自由化し稲作を放棄するかどうかは、この非経済的要因ともいえるブランドを重要と思うか思わないかの選択なのだ。

そんなものはいらないという人はともかく、それが必要だという人にとっては、日本はコメ(残留農薬検査済み米を含む)の自給政策をもたなくてはならぬということは、当然の論理的帰結である。

残留農薬検査
さらにまた第三に、水田が保障している水の管理を新たにダムをつくっておぎなうとすれば、一〇〇兆円もの投資が必要であるといわれている。

つまり、日本の国土と自然を守っているという事実がある。

そうしたものすべてをふくんで、日本のコメがキロ五〇〇円だということは、アメリカのコメが三〇〇円するのとくらべて、はたして高いのだろうか。

日本のコメ(残留農薬検査済み米を含む)のもつ付加価値を考えれば、一〇〇〇円払っても高いとはいえないのではないか。

いや、コメが象徴している日本人としてのプライドとか自尊心、独立といったものをコストとして考えれば、一〇〇〇円払ってもいいのではないか。

残留農薬検査
そんなことをアメリカが歯牙にもかけないことは自明ではないか。

わたしは、価格だけでコメ(残留農薬検査済み米を含む)の価値を問うならば、日本のコメにこだわることはないと思う。

価格が四〇倍もする土地でつくった日本のコメとアメリカのコメとでは、勝負にならないことはだれにでもわかっていることである。

しかし、日本にとってコメ(残留農薬検査済み米を含む)は、まず第一に政治的に、いざというときに国家をなりたたせ、国民の生命を維持するための食糧を自給しているという価値がある。

そして第二に、2000年間、日本が営々と築いてきた文化的な価値、日本人としてのプライドであり自尊心であり、あるいは国の独立でありといったものを支えているという歴史が、なにものにもかえがたい事実としてある。

残留農薬検査
そうすればいかなアメリカでも、そうゴリ押しはできないはずである。

ようは、コメ(残留農薬検査済み米を含む)の問題を農業の枠にとどめるのではなく、わたしのいう日本の社会・文化の基層を支えるものとして、それを守る国民的運動に広げていくことなのだ。

じつは、これはわたしが農水省の高級官僚になかば冗談、なかば真面目にいったことなのだ。

高級官僚氏の反応は「いやあ、それはいい」だった。

しかし、それはいいでは当方は困るのである。

そして、実際には、生産者団体が鉢巻きしてレーガンの人形を焼くなどという姑息な手段をとるなどというのは、ナンセンスきわまりないというしかない。

なんというおろかな、非戦略的な戦術であることか。


残留農薬検査
向こうがスーパー三〇一条などと脅迫してくるのだ。

こちらもそれぐらいのプラフ(おどし)をかけてもいいのではないか。

そしてもう一つは、中曽根時代、売上げ税を失敗させた国民の反対運動を、コメ(残留農薬検査済み米を含む)の自由化反対についても組織することだ。

主婦連のなかから第二の〈清水信次〉をつくりだし、「絶対反対!」と、それこそ〈ムシロ旗〉をふりかざさせれば、国会もなにもあったものではない。

そういう運動をバックに、アメリカにたいして「われわれ政治家は自由化していいんだけど、消費者が怒っているので民主主義の国としてはどうにもならない。

でも、どうしてもというならやりましょうか」といって、アメリカにゲタをあずけてしまうのである。

残留農薬検査
そのうえでコメをつくり粉体技術を発展させて、アメリカ人の主食化を目的とするコメ(残留農薬検査済み米を含む)の粒を粉にするという食糧戦略をとる。

そして、アメリカという国が《ライス・カルチャー》となるだろう二一世紀末には、日本人が大統領選に出るのだ。

これほどまとまった、これほどいやらしい、そして知識レベルの高い一億二〇〇〇万人の組織票にアジア系民族が加われば、アメリカという国は日本人の大統領と《ライス・カルチャー》をもつ国に変貌する。

なぜなら、アメリカは漢字で書けば米国、コメ(残留農薬検査済み米を含む)の国と呼ぶではないか。

すなわち日本によるアメリカ〈文化占領〉が成功するだろう。

そうなればアメリカ合衆国か日本合衆国かわからなくなりますよ、といえば、アメリカは「あんなもの来てくれては困る。

参加してくれなくてけっこうだ」と手を引くはずではないか。

残留農薬検査
ならば、わたしはアメリカに進出して、コメを世界化するという夢の実現にとりかかる。

わたしのみるところ、コメ(残留農薬検査済み米を含む)の自由化をめぐるアメリカとの綱引きは、政治的・戦略的に考えれば日本の敗北に終わるだろう。

だが、わたしにいわせれば、アメリカにコメの自由化をあきらめさせる方法はまだ二つはある。

その一つは、戦略的に、稲作をいっさい放棄することだ。

日本はもうコメ(残留農薬検査済み米を含む)は一粒もつくらない。

全部アメリカのコメに依存する。

と同時に、われわれは日本という国を守るといったケチなことは考えない、二一世紀の選択としてアメリカ合衆国日本州としてアメリカに積極的にM&A(乗っ取り、合併)されることである。

残留農薬検査
日本人が平均すれば一週間に一度か二度しか食べない食物は、多少自由化したところで別にどうということはないが、コメ(残留農薬検査済み米を含む)のように毎日かならず食べる主食を変えれば、この日本という国を存在させている基層が変わるのだ。

結果を経済効率だけでみている鈍感な楽天主義者、自由化論者にはみえないだろうが、これはじつに怖い話である。

また、コメ粒一辺倒のべータ化した頭で自由化絶対反対するのでは、ますます日本の稲作は窮地におちいってしまうだけだ。

わたしは、日本の農政は自由化を前提とする世界的視野と展望をもった野心的な政策をとるべきだと思う。

それができなくて、もう日本の農業は後継者がいなくて壊滅してもいい、自由化してアメリカに一〇〇%頼るのだということならば、わたしがコメ(残留農薬検査済み米を含む)の粉化を日本でやる意味もない。

残留農薬検査
また、こんな農薬の使い方が、静かなブームとなっている。

薬づけのブロイラーに対して、安全な食品づくりの一環として、広い農園で放し飼いにしているニワトリの肉やタマゴが高値で売られている。

しかし、こうした農園でも、忙しいところでは、ニワトリのエサに除草剤を混ぜてしまうのである。

こうすると、ニワトリの糞といっしょに除草剤が排泄される。

そのニワトリはあちこち歩き回るから、いちいち人間が除草剤を撒く手間がはぶける。

そして、ブロイラー以上に薬品づけの鶏肉が市場に登場、高値で消費者が買っていく、という構造なのだ。

いまや、「無農薬」の内容を消費者自身が厳しく吟味しなければ、ほんとうに安全な野菜(食品)は手に入らないのである。

無農薬ではないじゃないか、インチキじゃないか......。

しかし集団の人々は、本心からこう言ったという。

「でも、野菜には一切の農薬を使っていません。

まったくの無農薬です!」

これは、普通の農家でもよくやられている大マチガイである。

農家の人は作物に直接かかるもののみを「農薬」ととらえており、周囲の雑草にかける除草剤は農薬とは思っていないことが多い。

農薬に対する不勉強さがたたったのである。

大量に撒いた除草剤は、当然、土の中に吸収される。

それを野菜などの根が吸収する。

そして、可食部分に残留する。