残留農薬検査の最近のブログ記事

過剰に、という指摘はつまり、必要以上に、という意味だろう。

農家の人が、必要のない薬を、わざわざ金を払って買って、苦労して田んぼや畑にまいているとしたら、これはおかしな話だ。

そんなバカげたことはありえない。

農家の人たちは、おそらく、「必要最小限しかまいていない」と主張するだろう。

実を言うと、この"必要最小限"というのは、少しばかりクセモノなのだ。

新聞などのマスコミが、「日本の農業はクスリ漬け」という場合、諸外国での使用量と、日本の農薬使用量を比較して言うことが多い。

一年間に国内で使用された農薬の量(有効成分量)の単純比較をすると、日本は、アメリカ、フランスに次いで第三位になる。

だが、それだけで比較しても仕方がない。



30年後、50年後に、1990年あたりをふり返って、"よくこんなキケンな農薬を使っていたもんだ"と言われる可能性もあるわけですが、科学というものは絶えず進歩しますから、そういう可能性を否定することはできません。

しかし、いま現在の科学というのは、50年前とは比べものにならないくらい進んでいます。

もちろん、この先50年たてば、私たちの想像以上に進歩するでしょう。

しかし、現時点で大筋として私達がとらえている環境科学や代謝研究の水準は、これから詳細がどんどん解明されていくんだけども、出発点がそもそも間違っているということには、おそらくならないはずです。

ニュートンの万有引力の法則なんて、いまは、言葉としては小学生でも知っていますが、あのニュートン力学というのは、17世紀に確立した学問成果です。

20世紀になって、量子力学という学問によって、ニュートン力学で説明できない、いろいろなことが解明されました。

しかし、ニュートン力学は否定されたり、間違っていた、となったわけではないんです。



農業粗生産額(残留農薬検査)

農業粗生産額は、4年連続して2千億円を超え、北海道全体の20%を占めている。

水田はほとんどなく、主要作物は小麦、ばれいしょ、てん菜、豆類で、いずれも生産高は全道一だ。

ほかに、酪農も盛んで、乳用牛、肉用牛とも飼養頭数はやはり全道一位。

これら畜産が農業粗生産の40%強を占めている。

日高山脈と大雪山系を背に、太平洋に面したこの地方は、夏は比較的温暖だが、冬の寒さは厳しい。

サケの遡上で有名な十勝川流域には、十勝平野が広がる。

ワインの里・池田町や、今は廃線になった広尾線の愛国駅、幸福駅など、全国に知られる観光地も多い。

しかし、この広大な十勝平野は、約80%が火山灰地であり、土壌条件は決して良いものではない。

今日の、一大農業地帯を作りあげたのは、土地の改良を続け、寒冷地農業に挑んだ先人達の、血のにじむ労苦に負うところが大きいという。




たとえば土壌残留ですが、日本なら日本の、アメリカならアメリカの土を使って試験しなければならない。

その場合の温度条件は、日本では25度、ドイツは22度、オランダは15度と25度および5度をそれぞれ、となっています。

つまり、土壌残留だけで同じような試験を4つも5つもやる必要がある。

それから、一度登録になっても、その国のガイドラインが変わることがあります。

その場合も、新しいガイドラインのやり方で、追加データを求められるんです。

2万、3万やってみて一つというのが、一応は世界の平均と言われている。

しかし、わかりきったことだが、3万やればかならず一つ成功する、ということではない。

極端な表現をすれば、何十万個もの化合物をスクリーニングしても、それが全部はずれるかもしれないし、たまたま試してみた一個がうまくモノになるかも知れない。



残留農薬検査
問題なのは、子孫に対する影響である。

「慢性毒性試験で、最大無作用量を算出したではないか。毎日摂取し続けても安全なはずだ」という人もいるかもしれない。

だが、ちょっと待ってもらいたい。

人間(に限らず高等動物)の生理作用というのは、そう単純ではないのである。

こういうことが解明されたのは、最近のことなのだが、子孫に対する影響というのは、やはりそのために独自の試験を行わないとわからないことなのである。

医薬品の例であるが、有名なサリドマイドの服用による奇形の発生は、この薬を妊娠34日目から50日目までに服用した場合に限られ、この期間の中でも、たとえば35日目と40日目では奇形のあらわれ方は違うのだという。


1987年の夏、北海道にアワヨトウという虫が異常発生した。

やや多目に発生した程度なら、殺虫剤をまいて防除できるのだが、他所から飛んできて一斉に繁殖しはじめたからたまらない。

上川地方のトウモロコシ畑や麦畑を根城にして増え、家屋の壁や道路も一面びっしり、という事態になった。

何しろ、ちょっとした坂道でも、ヨトウムシのアブラでスリップして登れないというありさまだ。

農協や、農業資材店には、殺虫剤の注文が殺到した。

ところが、「農薬」は、使用基準が決まっていて、農耕地にはまいてもいいが非農耕地の適用がない場合には使うことができない。

ある町では、畑にまく殺虫剤が5年分も売れたというほどの異常発生ぶりだから、非農耕地用に適用のある殺虫剤もあっという間に在庫が切れる。

「この殺虫剤を使えば、家屋や道路の虫も殺せる」とわかってはいても使えない。

そんな、笑うに笑えないことも起こるわけだ。

残留農薬検査


PCPとDDTとは(残留農薬検査)

PCPは、農薬としては、殺菌剤や水田用の除草剤として使われたが、他の用途でも使用された。

昆虫に詳しい小西正泰博士によれば、「魚介類に対する毒性が強いことを利用して、山梨県などでは地方病を防止し、根絶するために使われました。

『日本住血吸虫』の中間宿主であるミヤイリガイを駆除するのが目的でしたが、これは除草剤としての使用以前に、かなり積極的に使われました。

ついでに付け加えますと、こういう貝類は、ホタルの幼虫の餌ですから、貝が激減した結果、餌を失ったホタルも絶滅に向かうことになったという事情もあります」

実は、PCPのほかにも、農薬が防疫用など他用途に使われた例はたくさんある。

農薬の安全性が議論される時、必ずと言っていいほど取り上げられるDDTは、その代表例だろう。

かつては、万能の殺虫剤のように言われ、実際、非常に効果が高かったから、農業用よりもむしろ、ノミやシラミなど衛生害虫の駆除に多用された。




残留農薬検査
農薬は、作物に残留することがある。

光にあたって分解して、全く残留しないものや、散布してから十日くらいは残留してしまうものなど、個々の化合物によってタイプは違う。

農薬の残留が問題になるのは、農作物を食べることで、たとえほんのわずかずつでも、人間の身体に入ってくるからだ。

その時には何も感じないとしても、長い間、農薬が残留した食品を食べ続ければ、10年後、20年後に健康がそこなわれることはないか。

あるいは、発ガンのキケンや、子孫への悪影響はないか。

これは、当然の心配だろう。

長期間にわたって、少しずつ摂り続けた時の悪影響-慢性毒性は、人類の将来にもかかわる問題である。

国際的にもWHOやFAOが「絶対に起こさない」という共通認識に立って、規制を行うことが確認されている。

具体的な法規制の内容は、各国の実情によって少しずつ違うが、関係者によれば、日本は先進国の中でも、最も厳しい基準が設定されているという。

まず、その制度から見ていこう。

作物に対する残留農薬の基準は二種類ある。

一つは、食品として流通する作物に残留することが許容される農薬の濃度で、「農薬残留基準」といい、これは、厚生省のナワバリ。

もう一つは、新しい農薬を登録する時に、その農薬の適用内容(対象作物、使用の時期、回数、量など)を設定するための数値で、「農薬登録保留基準」という。

これは、環境庁が農水省に対して示すことになっている。

「ややこしいな」と思うブログ読者が多いだろう。

その通り、ややこしいのだ。

「残留基準」は、「食品衛生法」に定められていて、市場の農作物を検査し、基準値を超えていた場合には、その作物の出荷を止めることになっている。

それから、「登録保留基準」は、「農薬取締法」に定められているの安全使用基準が決められるまで
だが、これは八百屋店頭の作物をチェックするのが目的ではない。

「この農薬は、○○PPm以上残留しないように使用基準を設定しなさい」

というものである。

残留農薬検査
自然の生態系は、どの程度まで変えていいのだろうか。

ほど良いバランスを保つのは、意外とむずかしいことだ。

地球上の人口がどんどん増え、山林や原野が切り拓かれていく中で、これからはさらに多くの問題が発生するに違いない。

原始時代への後戻りができない以上、その解決策は、科学の進歩に委ねられねばなるまい。

過剰に、という指摘はつまり、必要以上に、という意味だろう。

農家の人が、必要のないものを、わざわざ金を払って買って、苦労して田んぼや畑にまいているとしたら、これはおかしな話だ。

そんなバカげたことはありえない。

農家の人たちは、おそらく、「必要最小限しかまいていない」と主張するだろう。

農薬問題が議論される時に、よく出されるのが、安全かキケンかという話だ。

この問題に詳しい、残留農薬研究所理事長の福田さんに話を聞いてみた。

ー農薬は安全ですか。

「安全です。ある物が"安全だ"という時には、使おうとするものの性質をよく知り、その上で上手に使う、ということが基本であるはずです。それができれば安全だし、できない時には危険ということです。言い換えれば、安全性という言葉と危険性という言葉は、まったく同じことを右から見るか、左から見るかの違いだけなんです」

「危険性というのは、農薬なら『農薬の持っている固有の性質(毒性)x農薬を浴びる濃度(暴露濃度)×浴びる時間(暴露時間)』で決まります。

毒性の強さはそのものの固有の性質です。

それを理解したうえで、暴露濃度×暴露時間が設定されるわけで、これが使い方です。

そして使いやすいものと使いにくいものがあり、あんまり使いにくければ、実用的ではないということになるでしょう。」

旭川市から南へ、クルマで30分ほどのところにある美瑛haでは、今、農協がこんなスローガンを掲げて、地元農産物を、本州方面、とくに首都圏に売り込もうとしている。

小麦、大豆、小豆、菜豆、ばれいしょ、てん菜が、この地域の主要作物だが、最近では、アスパラやトマト、メロンなどの園芸作物、スィートコーンなどにも力を入れている。

これらの農産物を、旬の時期に、年間契約した都会の消費者に宅配便で送る方式も取り入れている。

「産地間競争が、本当に厳しくなってきているんです。年間契約の宅配便なんかは、進んでいるところではもうとっくにやっていることですが、このあたりの農業は年々苦しくなっていますから、何とかして、ブランドカのある産地になろうということで、これから取り組んでいく、というふうに聞いています」

佐賀、福岡両県は、減農薬、無農薬による稲作りの盛んな場所だが、久富さんは「減農薬という場合、基準があいまいでゴマカシもありそう。無農薬はまず無理」ときっぱり言い切る。

「このあたりは、(ウンカなどの)飛来害虫が入ってくるところですから、殺虫剤を使わんことには、まともに出来んとです」

ごく最近では、86年に、九州一円から中国地方にかけての西日本に、ウンカの大発生があった。

この時は、「あちこちに坪枯れが見られたし、ひどい所では反枯れもあった。

大被害にならなかったのは、農薬のおかげです」

もちろん、久富さんは、「農薬を多投すべし」と言っているわけではない。

さて、今さんの話に戻ろう。

「昔も今も、りんご作りは虫や病気との闘いだ。

農薬抜きではやれねエな」約1.8haのりんご園の年間の防除回数は、10~11回。

農協の防除暦では13回になっていても、発生予察をうまく活用し、果樹園をよく観察していれば、散布回数は減らせることもある

「(散布は)手間もかかるし、金もかかる。

減らせるもんなら減らした方がいい」というわけだ。

それでも、以前と比べると、農薬の使用回数は増えている。

勤務時間を短縮して労賃を削減する換わり、従業員が生活費を維持するためのアルバイトを容認する考えだ。

従来、企業は従業員に対して全身全霊で働くことを求めてきた。

それは終身雇用制度と共に従業員と企業の運命共同体を形成する日本式の雇用形態でもあった。

しかし時代は変わり、外食産業や小売店などではパート雇用の主婦を取締役に抜擢する事例も登場するようになった。

主婦の立場からの経営に対する提案は、消費者からの提案でもあり企業経営にとって有益だと判断しての動きである。

企業経営はグローバル化、国際化の激しい競争の中で、従来の規模拡大、生産性の向上という経営手法では競争に勝ち残れないことを学びつつある。

過去の実例もあって、とても実現するとは思えない自給率の向上を生産者はにわかに信じられないと醒めた目で見つめている。

またしても裏切られるのでは、と疑っている。

そんな目標を信じる方がバカを見ると距離を置いている。

そこまで生産者が疑うのは、いくつもの要因がある。

その典型的な政策事例がコメの消費拡大策である。

コメの消費拡大という個別政策のところでも触れたが、農水省は熱心に消費拡大の啓発を行い、学校給食に米飯食を奨励している。

また、新聞、テレビを使ってPR活動を展開している。

1998年度の優良農地面積は四一九万ヘクタールだったが、農水省では、このまま対策を講じないで、減少傾向を放置すれば、2010年度には三六九万ヘクタールまで減少すると予測している。

農地は一度荒廃すると、再び農地に戻すのに多くの労力と経費がかかる。

何としても農地の荒廃を阻止し、極力、優良農地を確保したいと考える農水省は、数々の対策を講じて減少に歯止めをかける方針だ。

そこで農水省は2010年度の優良農地面積を四一七万ヘクタール維持するとの目標を掲げ、2001年度の優良農地面積の目標として四一八万ヘクタールという数字を設定していた。

さて、結果はどうだったか。

四一六万ヘクタールである。

早くも九年も先の2010年度の目標値を下回った。

文部省が策定したもの
・食塩や脂肪は控えめに。

・適正体重を知り、日々の活動に見合った食事量を。

・食文化や地域の産物を生かし、時には新しい料理も。

・調理や保存を上手にして無駄や廃棄を少なく。

・自分の食生活を見直してみましょう。

さて、数値による政策評価の検証結果だが、いずれも好ましい方向とは逆方向に進んでいる実態が示された。

つまり目標の達成度は悪いという結果である。

脂肪分の多い食事は増えているし、コメ、野菜、大豆などの消費は目標を下回っているし、食べ残しと廃棄も減少目標からは遠い状況だ。

政府の「食生活指針」に対する認知度もわずかに向上はしているが、低いままだ。

政策評価では、脂肪からの熱量摂取の割合を2001年度で二八・五%という目標数値を定め、さらに個別品目についても、一人当たりの年間消費量の目標数値をコメ六五・〇四キロ、野菜一〇ニキロ、大豆七・○キロ、牛乳・乳製品九五・三キロなどと定め、この数値と現状の趨勢数値との比較で、政策が有効に働いているか、検証しようとしている。

また、食品の廃棄、食べ残し量を五年間で五%削減する目標を立て、2001年度でどれだけ目標に近づいたかを検証しようとしている。

ちなみに[食生活指針」とは2000年3月に、農水省、厚生省で、望ましい食生活の実現に向けて普及、啓発を行っている。

その内容を要約すると、次の一〇項目となっている。

・食事を楽しみましょう。

・一日の食事のリズムから、健やかな生活リズムを。

・主食、主菜、副菜を基本に、食事のバランスを。

・ごはんなどの穀類をしっかりと。

・野菜、果物、牛乳・乳製品、豆類、魚なども組み合わせて。

農産物の貿易自由化という時代の波に抵抗して、自由化を渋ってはみたものの、次々と農産物の自由化を認め、最後には、コメの市場開放、さらには関税化という自由化に踏み切り、そうした過程で食料の自給率を恒常的に低下させてきた。

これに対応する農業振興策として、農業の構造改革に取り組んでいるが、それも目に見える成果が得られず、今だに零細規模の農家が大層を占めたままだ。

個別の農業プロジェクトを見ても、失敗の事例が多い。

秋田県八郎潟の干拓事業を展開し、そこに大規模農業を誘致した。

しかし、そこに入植した農家が直面したのはコメの減反政策だった。

できれば、農水省を先導するような政策提言と、消費者をうならせ、信頼を取り戻すような対策を取りまとめて欲しいところだが、農協団体、特に地方の農協団体の首脳、幹部の危機感は不足しており、その体質改善は時代から大きく遅れている。

その意味からも、今回、全国農協中央会が採用した新たな全国農協中央会会長の選出方法の改正は、全中代議員による投票という、より民主化された方法であり、現会長らの農協体質改善への意欲は評価するが、それが遅れ気味の農協改革の促進剤になることが肝要である。

それでは過去の農政はどうだったのか。

一般に、農政は失敗の連続だったと言われている。

保護農政のために日本の農業は国際競争力を失った。

残る7件は,保険や投資,特許権といった問題をめぐるケースで,米国にいわせれば,これらについては現行ガットが取り扱っていないのでガットに提訴しなかったということになる。

他国を最も果敢に攻めてきた米国は,他方では,ECにつづいて最もひんばんに他国からガット提訴を受けてきた国でもある。

1980年代だけをとってみても,米国が他国から提訴を受けたケースは29件にも及ぶ。

続いて多いのがECの22件,日本の13件,カナダの6件などである。

米国を最も攻撃してきたのは,ほかならぬECである。

しかも紛争は1980年代に集中している。

米国とECの間には,攻撃されたら撃ち返すという報復合戦(たとえば,いわゆるパスタ戦争など)が時折りみられるが,いくつかの数字は,ガット提訴についてもそのような関係にあることをうかがわせる。

なお,カナダも1980年代にかなりひんぽんに米国をガットに提訴した。

米加間の紛争の頻発が,両国をして1988年に米加自由貿易協定を締結させる大きな誘因となった。

1974年通商法第301条に基づく調査は,1991年10月までに合計87件行なわれたが,そのうち40件は1985年から91年までの6年間に行なわれた調査である(1989年と90年に行なわれたスーパー301条調査を含む)。

見過ごしてならないのは,このような301条調査の増加が,ガット提訴の増加につながったことである。

なぜなら,同通商法上,他国のガット違反の措置(いわゆる「不公正措置」)については,通商代表はまずガット上の紛争処理手続を踏むことが期待されているからである。

後述のように,301条の大きな問題は,このガットの手続きを最後まで守り切らないで,特定期間のあとは一方的制裁をとれることとなっている点にあるが,それでもガットの手続きを完全に無視しているものでない点に留意する必要がある。

たとえば,米国通商代表は,1990年中に14件の貿易紛争について301条調査を終結ないし停止したが,このうち7件はガット紛争処理手続がなんらかの形で使われたケースである。

とりわけECはガットの紛争処理メカニズムが裁判所のそれのようになることにはかねてより強く反対しており,あくまでも政治的な配慮の余地を残した紛争処理の枠組みにしておきたかった。

このような考え方の違いは,パネル報告の理事会における採択の方法や仲裁制度の導入の問題をめぐって表面化した。

パネル報告の採択がコンセンサスで行なわれる。米国やニュージーランド等は,パネル報告の採択を当事国が妨害できる従来の手続きでは紛争処理の実効性が担保されないとしてこれを見直すことを主張した。

なかでもオーストラリアは,理事会がパネル報告を採択する際には,紛争当事国ならびに当該紛争案件に関心を表明した関係国を除外すべきとの主張を行なっている。

このような考え方がいわゆる「コンセンサス・マイナス・21」と呼ばれるものである。


紛争当事国以外の第三国の関与の問題,事務局長による斡旋の強化,非政府系パネリストのいっそうの活用,拘束力のある仲裁制度等について具体的な改善策が提案された。

米国をはじめEC,日本,カナダ,オーストラリア等主要国が提案を提出し終わった1988年初頭の時点では,パネル審議の迅速化に関わる手続き上の改善については,各国提案に共通点が多く,議論はまとまる方向に向かった。

このため,紛争処理はガット機能と並んで1988年末の「中間レビュー」で他の交渉グループに先立って交渉成果を実施に移す対象項目となった。

しかしながら,ガットの紛争処理の基本的な性格づけについては,以前から存在していた意見の対立がそのまま尾を引いていた。

つまり,調停的役割を重要視する国(EC,日本,韓国,ブラジル等)と紛争処理における法の支配の強化を主張する国(米国,オーストラリア,ニュージーランド等)との間の対立である。

さらに上記(c)は特定の締約国の主体的行為による利益の無効化・侵害を企図してはおらず,(b)と(c)はいわゆる"non・violation case"(無違反案件)を取り扱っている。

このように,第23条1項にいう無効化・侵害という概念は単にガットに対する違反行為を前提とするものではなく,こうした違反の有無は無効化・侵害というガット上の権利と義務の均衡が崩れた状況を生み出す一要素と考xられている。

その上で本条項はなんらかの行為や状況の存在ゆえに失われた権利と義務の均衡を回復させるために調整の機会を設定するとともに,このような協議を求められた締約国には申立国に対し「友好的な配慮」(sympathetic consi-deration)を払うことを要求しているのである。

このことからガットが起草された時点では,ガット上の義務履行確保のための厳格な紛争処理協定というよりは権利と義務の均衡を調整する機能の方に重点が置かれていたといえよう。

無効化または侵害は次の3つの状況において起こりうるとされている。

(a)他の締約国がガットに基づく義務の履行を怠った結果,(b)他の締約国が,ガットの規定に抵触するかどうかを問わず,なんらかの措置を適用した結果,および(c)その他のなんらかの状態が存在する結果,の3点である。

上記の文言を検討して最初に気がつくのは,無効化または侵害の要因として必ずしも一般協定に対する「違反」(violation)が想定されているわけではないという点である。

上記(a)にいう「義務の履行を怠る(failure)」というのが最も厳しい文言になっているが,これとて純粋に法的概念とはいいがたい。

また,上記(b)についても「なんらかの措置を適用」とあるが,それがガット規定に照らして合法か非合法かは問わないとしている。

日本人の年平均所得は500~600万円であるから,労働日数250日として1日2万~2万4000円になる。

これは稲作労働の約3倍である。

さらに,コメについては約6倍の内外価格差を価格支持により埋めているから,他産業との生産性格差は約18倍(3×6=18)にもなる。

日本のコメ生産は昔からこれほど生産性が低かったわけではない。

池田内閣時代(1960年)には,コメの輸入価格の方が国内生産コストより約4割高かった。

(3)こうした低い生産性が現在の後継者難につながっている。

日本農業の担い手(基幹的農業従事者)は年h高齢化して,引退が近い者が多い。

また,農水省の「農業調査報告書」によると,1991(平成3)年1月現在後継者(年間150日以上自家農業に従事した30歳以下の男子農業従事者)は,全国平均で78。

8戸に1人しかいない。

とくにコメの主産地ほど状況が厳しい。


武田邦太郎氏は日本新党所属の参議院議員で,武田新農政研究所所長でもある。

同氏の意見を次に要約しよう。


(1)農産物の自由化は時代の趨勢であり,避けることができない。

国際競争力がないから,自由化すれば国内農業が壊滅してしまうとの前提で交渉しているのは間違いである。

自由化してもびくともしない農業を育てることが肝要である。

コメの保護の関税化を契機として,日本農業の体質強化策を積極的に進める必要がある。

(2)現在日本の農家は後継者難に陥っている。

とくに,稲作農家でそれが深刻である。

これは所得が少ないことが原因である。

稲作の場合,家族労働の1人当たり1日の労賃は,約7000円で,東南アジアの出稼ぎ労働者の平均労賃1万円~1万2000円よりも少ない。

米独禁法の域外適用(あるいはその例外の運用ぶり)が,外国政府をして,政府の命令のもとで企業に輸出カルテルを結ぽせることを,事実上奨励しているといえないだろうか。

改めてこのような状態を米国側から眺めてみよう。

本来米国では厳しく裁かれるようなカルテル行為が,米政府の要請のもとで外国企業によって行なわれており,それには米司法省も,域外適用権限をもってしても手を出せないでいる,という図が浮かぶ。

米司法省にとっては,さぞや苦hしい思いのする状況であろう。

ガット事務局も,1992年3月に行なわれた米国の貿易政策審査のための報告書のなかで,米政府の独禁政策のこのような二枚舌ともいうべき側面を批判している。

域外適用の例外は,いったん外国政府による命令が確認されるならぽ,米政府とのあいだで輸出自主規制取決めがあるかどうかにかかわらず,例外としての運用が続けられる。

その好例が日本の自動車の対米輸出自主規制である。

これは,当初は米政府の要請に基づいたものの,1985年以来,米政府は公式にこの措置の継続を要請していない。

他のほとんどの輸出自主規制についても,法律上の根拠をもった政府による命令という形式がとられている。

たとえば,鉄鋼と工作機械の対米輸出規制は,輸出入取引法下で認められた輸出カルテルである。

法律に基づく政府の命令という形式がとられるのは,規制の実効性を確保する(すなわち,抜けがけを許さない)ためであると同時に,米国の独禁法の域外適用を回避するためでもある。


そこで、研修店舗に常時二〇人程度店長となる人材をプールしておく体制を整える計画だ。

また、内部充実の一貫として七二年に始めた「カフェ コロラド」を担当するコロラド事業部を九六年12月に「コロラド本部」に昇格させた。

九八年3月期からコロラドも再び本格展開していく考えで、鳥羽社長は「コロラドはDCSの倍にあたる六〇〇〇店の出店余地がある」と見ている。

都市郊外の駅前などへの出店加速で業績は好調。

九五年後半に開いた大型モデル店も立ち上がり順調だ。

その背景には、これまで独壇場だったオフィス街での競争激化がある。

ドトールの都心店には、80年代前半に出店した立ち飲み主体の小型店も少なくない。

ところが、最近こうした小型店の周辺に競合チェーンがテーブル席を充実させたり、ケーキなどのフードメニューを強化した大型店を出すようになった。

さらに地価下落に伴いオフィス街にもコンビニエンスストアが目立つようになった。

ドトールコーヒーの主力業態「ドトールコーヒーショップ(DCS)」の店舗数は九五年9月に四〇〇店舗を突破、九六年3月期の業績は売上高二一二四億円、経常利益は一八億円強といずれも過去最高を更新した。

九六年7月には建設費用を従来の半分強に抑えたローコスト店舗を開発。

これにより、郊外の小規模商店街や地方都市への出店が可能になり、DCSの出店可能数を=一五五から倍以上の三〇〇〇店に上方修正した。

小回りの利くローコスト店舗の開発で出店数も着実に増加しており、九七年3月期はフランチャイズチェーン(FC)加盟店分も含め約一〇〇店を大量出店。

九七年2月下旬、DCSは五〇〇店を達成した。

「九七年は内部充実と人材の確保に力を入れたい」と鳥羽博道社長は話す。

九八年3月期も引き続き大量出店をしていく計画だが、「これまでは企業の成長に人材が追いつかなかった」(鳥羽社長)との思いがあるからだ。

いずれも牛肉なら店舗で焼くだけ、ポテトも揚げるだけで食べられる「最終製品」の形で輸入している。

しかし最終製品より原材料の方が輸出入関税が安いケースが多く、九五年後半からは、最終製品よりも原材料の情報収集にシフトしている。

インターネットの普及も、外食産業の食材調達のグローバル化に一層、拍車をかける。

事業所給食大手のシダックスは、インターネット上に食材調達のホームページを開設、食品メーカーなど全世界を相手に取引先の募集を始めた。

九六年秋までにホームページを改良、調達したい食材の仕様を画面に表示するようにした。

完全調理品に近い食品を輸入、現在、一割に満たない輸入比率を2000年には五割にまで高める、という。

マクドナルドは事前に世界の産地の情報をキャッチ、仕入れ先を分散させる戦術も取り始めている。

九五年はメキシコから調達していたゴマの作況が悪化したため、グアテマラにシフトした。

情報の活用は自社で行う調達だけにとどまらない。

同社は、世界の食材情報の一部を日本の食品メーカーなどに提供し始めている。

「国内の取引先に国際競争力をもってもらうことも、当社にとって重要な戦略」(購買本部)との考えからだ。

例えば、国内のケチャップメーカーに「コロンビアやメキシコに安いトマトペーストがある」との情報を提供。

メーカーはペーストを低価格で仕入れ、日本マクドナルドにケチャップとして卸すという具合だ。

日本マクドナルドが輸入する食材は牛肉、ポテトなど。

「知床鶏」のブランド名は同社の知床事業所で、エサに知床産コンブの粉末を混ぜて育て、一方の「津軽鶏」のそれは青森の事業所で、青森産リンゴを乾燥させたものを与えたことに由来する。

中国、ブラジル、米国産の安いチキンの流入に、同社は高品質の国産食材の開発を余儀なくされた。

エサを変えて肉の臭みを減らしたり、飼育日数を普通のチキンより十日以上引き延ばし、肉質をキメ細かくして軟らかみを出すなど、工夫に工夫を重ねた。

ただ、高品質の鶏肉はできたものの、飼育コストがかかり、小売価格は通常のチキンの一・五倍以上に跳ね上がった。

スーパーなどの店頭では、価格面での制約が大きく、考えあぐねた末、売り込んだのがファミリーレストランだった。

「知床という言葉の響きが、消費者に大自然をイメージさせ、食べてみようかと思わせる」(デニーズジャパン)といった具合に、他チェーンとの違いを打ち出したいファミリーレストラン。

一方、メーカーにとってファミリーレストランは「商品相場に左右されず、一定の消費量が見込める魅力的な存在」(日本ホワイトファームの神崎憲幸事業本部長)。

両者の思惑が一致した。

日本ホワイトファームは今後、外食企業との取引を増やし、現在月間六五万羽と全体の二〇%程度のブランド鶏の生産比率を、四年後には五〇%に引き上げる考えだ。

市場成熟化で国内出荷量が減少するなか、後継者不足や設備の老朽化、原料大豆の高騰などが地場業者の経営を圧迫しているのだ。

「何も"敵に塩"を送らなくても」という周囲の反対を押し切り、佐々木会長はOEMを拡大してきた。

「地域の文化であるしょうゆののれんを守りたいというニーズは強い。

OEMは当社の中核事業になる」と見るからだ。

顧客はすでに四〇社を超えた。

同社がOEMに乗り出したのは九三年。

本社敷地内に延べ床面積二万九〇〇〇平方メートル、年間生産能力一〇万キロリットルという国内最大級のしょうゆ工場を完成した。

総工費は二四〇億円と通常のしょうゆ工場の数倍。

だが、最新設備を導入してコスト削減を徹底したからこそ、他社向けに低価格のしょうゆを大量生産できる体制が整ったのだ。

「当社の経営環境は厳しさを増すばかり。ぜひとも貴社からしょうゆの供給をお願いしたい」

ワダカン食品工業(青森県十和田市)には、連日、窮状を訴えるこんな要請が電話やファクスで舞い込む。

依頼主は全国の中小しょうゆ業者。

小売りで二、三割は安いしょうゆを同業他社に供給する、同社への"援助"申し込みである。

「同業者か否かは関係ない。

当社製品を買ってくれる方はすべてお客様」。

佐々木秀宜会長の方針は明快だ。

完成品のOEM(相手先ブランドによる生産)や熱処理・味付け前の半製品(生揚げ)販売を合わせると、同社のしょうゆ生産量の四割は他社向けが占める。

この背景には業界の厳しい現状がある。

しょうゆ業者は全国に約二一二〇〇。

大半が家族主体の零細業者だ。

その姿勢は生産設備を見るだけでわかる。

新潟の新発田、北海道、佐賀の三カ所にあるモチの生産ラインではすべて杵で突いている。

一九五八年の事業化当時から、機械で自動化してはいるものの、臼と杵は変わりない。

杵の突き具合や突く回数などはすべて伝統の製法通りだ。

包装米飯も一食二〇〇グラムごと小釜で炊飯するのは同社だけという。

「初めちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな」という炊飯の常道を、「いかに効率的な生産ラインで実現するかに絶えず知恵を絞っている」(上村栄一・東港工場長)。

そのことがコメを蒸す「新製法」を打ち出す加ト吉などに対し、「それで消費者がコメと認めるだろうか」(佐藤社長)という自信につながっている。

残留農薬検査

「うちはコメしかありませんから。ただ、これは本物なんです」。

食品卸大手、菱食の広田正社長に「米飯事業はどの会社も失敗したではないか」と心配された時、佐藤食品工業(新潟市)の佐藤功社長(当時)は一言こう答えたという。

時は九一年春。

この言葉を受けて広田社長は社内に号令し、「サトウのごはん」の取扱量を急拡大した。

それは無菌包装米飯市場の幕開けの瞬間でもあった。

包装米飯でシェア四〇%、包装切りモチも四〇%。

コメビジネスの巨人、佐藤が現在の地位を築き上げた原動力は、この「本物」へのこだわりに尽きる。

モチとコメという日本人にとってあるのが当たり前の食材を、徹底した利便性の追求で切りモチや包装米飯という新しい商材に生まれ変わらせてきた。

残留農薬検査

約五二億の人類は、生きるために地球上の陸地面積の約三分の一を耕地・樹園地・牧野として独占的に利用しています。

少なくとも数百年前は、これらの土地には豊かな林があり野原が広がっており、さまざまな動物たちが住んでいました。

人類は作物を育て、家畜を飼うために、林・野原を拓き動物たちを追い出してしまいました。

また、人類はより豊かで便利な生活をするために、地球と生物群とくに植物群とが四〇億年以上という長い歴史のなかで準備したさまざまな物質を資源として、正に湯水のように消費しています。

このためにさまざまな生産廃棄物を、また生存排泄物を多量に環境内へ放出しています。

地球環境および自然生態系は、そのエネルギーの流れと物質循環のプロセスを通じてそれらの廃棄物と排泄物を分解し無害化する機能、すなわち自然浄化能を備えています。