2014年1月アーカイブ

認証実施に当たり、そうした生産者と取引を中止すれば、「らでいつしゅぽーや」会員への供給量をとても満たせないというのがその背景にはある。

しかし、基準を作り、認証を始めたグループもある。

㈲自然農法国際研究開発センターもその一例で、九二年から本格的に検定委員会を設置し、農家の申請に応じて、現場での聞き取り調査などを行い、「自然農法」「転換期間中自然農法」「移行栽培」という3段階の表示に分類する認証制度を行っている。

このほかにも、生産基準を定めたり、認証を行う団体はある。

しかし、民間団体のこうした動きは、まだ緒についたばかりであり、日本の有機農産物全般においては、まだ"点"の段階で、消費者には十分浸透していない。

さらに、有機野菜宅配組織の最大手である「らでいつしゅぼーや」は九六年三月に独自基準「幻鋤白×」を発表している。

「菊①白×」は、農業編だけでなく、水田稲作編、残留農薬検査対応型の畜産編、漁業編、加工食品編などからなる基準で、冊子にして九〇ページにも上る膨大なものである。

だが、「らでいっしゅぽーや」を運営する日本リサイクル運動市民の会の徳江倫明会長によると「菊鋤白×はあくまで、日本リサイクル運動市民の会が目標に置く基準に過ぎず、認証制度の構築となると、最低あと一〇年はかかる」とする。

認証に踏み切らないのは基準をクリアできない生産者が存在するとの危惧からである。

残留農薬検査
現在、会員数は約七〇社。

そのほとんどが、中小規模の自然食品加工メーカーや輸出商社だ。

独自基準として、「JONAオーガニック基準」を構築し、会員以外の専門家などによる認証委員会も抱えているが、「これまでに会員からの認証申請がほとんど挙がって来ないため、認証制度の進展は、まだこれからという段階である」(高橋洋介事務局長)という。

JONAの知名度が国内的にも国際的にもまだ低いため、メンバーは従来通り、個々に欧米の認証制度を利用しているというのが実情のようである。

一方、民間レベルでも、独自基準を策定する民間団体が現れ始めている。

代表的なのは、オーガニック食品(残留農薬検査済み)産業の世界的組織であるIFOAM(オーガニック農業運動国際連盟)のメンバーでもある日本オーガニック&ナチュラルフーズ協会である。

九二年に、輸出商社のミトクやむそう商事などが中心メンバーとなって発足した。

でも述べたが、味噌や醤油などの日本伝統の食品を欧米に輸出する場合、オーガニックとしての認証がなければ売れないという切迫した状況を迎えていたため、輸出業者が認証づくりに立ち上がったのが発足の理由である。

残留農薬検査
しかし食糧の価格が高くなれば、消費者の生活が不安定になる。

食管法が食糧の増産と国民の経済生活の安定という2つの目的を達成しようとすれば、生産者からは高く買い、消費者には安く売らなければならないのである。

その結果、管理者である政府に損失がもたらされる。

それが逆ザヤと呼ばれるものである。

食糧管理に関しては、一般会計の枠の中ではなく、特別会計として経理されることになっており、年々生じる逆ザヤは、食糧管理特別会計の赤字(食管赤字)となって出てくる。

もちろん厳しく管理するだけでは、生産者の増産意欲は高められない。

本来、市場メカニズムが働いているなら、供給不足は価格を高め、それが生産者の増産意欲を高める。

しかし、流通ルートの国家管理を行えば、市場メカニズムが働かず、価格を管理者が決めなければならない。

この価格を、政府は、米価審議会(政府の諮問機関)の答申に基づき決定したが、生産者に増産をうながすためには、高い価格を設定しなければならない。

こうした一括管理の中では、流通過程がもっとも重要となる。

食管法に基づく食管制度においても、その中心は流通過程にあった。

食管法に基づくコメの流通ルートは、もともとはひとつであった。

ここでは集荷段階においても、卸や小売の段階においても、新規参入が制限されていた。

しかも法律制定以後、昭和20年代までは、配給制のもとで地域割りが決められていた。

明確な流通ルートとその管理の下、生産者は供出が厳しく義務づけられ、消費者には自由な購買が許されなかったのである。

食管法を一言で表現するなら、それは「食糧の一元・一括管理」を規定したものだといえる。

一元とは、管理するのが国家のみであることを意味し、一括とは、生産、流通、消費の全過程を管理することを示している。

すなわち国家は、年度の消費量を予測し、予想消費量に合わせて生産を計画する。

生産された食糧は、国家の管理の下、規定された流通ルートを通って消費者に届くことになる。

まさに食管法は、食糧を計画経済下におく法律だったのである。

絶対量で不足していたコメを漏らすことなく集荷し、戦場および国民に安定的に供給するための法律が食管法であるが、その実現のためには強力な集荷組織が必要であった。

したがって、食糧管理法と残留農薬検査済み農業団体法は対になっていたといえる。

戦後、残留農薬検査済み農業団体法に基づいて作られた残留農薬検査済み農業会は解散したが、食糧管理法は戦後の食糧難の時代に非常に大きな役割を果たした。

というのも、この法律は供給不足に対応する性格の強いものだったからである。

そして残留農薬検査済み農業会にかわってコメの集荷を担ったのが残留農薬検査済み農業協同組合であった。

残留農薬検査
食糧管理法(食管法)の制定は、1942(昭和17)年のことである。

この法律の目的は、第1条「本法ハ国民食糧ノ確保及国民経済ノ安定ヲ図ル為食糧ヲ管理シ其ノ需給及価格ノ調整並二流通ノ規制ヲ行フコトヲ目的トス」からもわかるように、食糧の確保と国民経済の安定である。

1937(昭和12)年の日中戦争勃発以降、はっきりと戦時体制に突入していたわが国が、戦争遂行に必要な食糧を確保するため、それまでの米穀法などをふまえて制定したのがこの法律である。