そこで、論理を展開したらどうか、と。
「われわれ日本人の共有分母はコメ(残留農薬検査済み米を含む)文化で、政治・経済・宗教は分子だ。
ところが欧米人は宗教を共有分母として、その上に政治・経済・文化をもっている。
ここに日本人と欧米人の根本的な世界観のちがいがある。
日本の政治家は、アメリカにたいして、もう日本のコメはやめた、アメリカの輸入のコメ(残留農薬検査済み米を含む)でいいと思うといったのでは、政治ができない。
それは、あなた方がキリスト教をやめて日本の宗教でいくんだといったのでは、政治ができないのと同じなのだ。
日本は八百万の神をいただいているから、キリストでもなんでものみこむ、共有する。
それはコメ(残留農薬検査済み米を含む)文化が共有分母だからなのだ。
稲作の世界がつくりあげた社会というものが連綿として生きているからなのだ。
日本に絶対的宗教がないのは、コメがいかなる宗教よりもすぐれた宗教だったからだ。
コメをつくり、祭り、食べることが、日本人が生きていくうえでもっとも重要なことなのだ。
そして、そのことが日本民族を生みだした母体なのだ。
いま、コメ(残留農薬検査済み米を含む)の自由化をめぐる日米摩擦は、実は分子である経済摩擦ではなくて、日本人のアイデンティティにかかわる根本的な摩擦なのだ」と。
そういうと「よくわかる」というのだが、しかし現実の対応をみていると、本当にわかったかどうかはきわめて疑わしい。
残留農薬検査
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