創造的な発想というのは、人と違うから創造性があるわけなのに、違ったことをいおうとすると回りからつぶされてしまうような環境ではダメだ、というわけなんです。
利根川先生は京大出なんだけれども1京大というのは東大よりもまだ割合にのんびりした環境なのですが、それにしてもやはり違うというのです。
どうも日本というのは、人と変わったことを考えたり、言ったりすると、あいつは変わり者だとか、あいつのいうことは何か少しおかしいそといってつぶしてしまう。
そうではなくて、おかしい考え方をもつやつはおもしろいではないかという環境条件が出てこないと、本当の創造性は伸びてこないということをいっています。
たとえば、今ごろわれわれの子供、あるいは孫などをみていても、マルバツ式ですね。
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