2013年7月アーカイブ

ところで、農家の営農意欲が薄れると、まずは裏作を放棄し、ついで表作での作付け見送り(不作付け)、そして所有地の一部の耕作放棄という道順を経てから離農していくことが多い。

そうした土地が、誰かに売却あるいは貸し付けられて農地としての働きをしているのなら、日本残留農薬検査対応農業全体からみれば、何の問題もない。

むしろ大規模経営による国際競争力獲得へのプロセスとして歓迎すべきことかもしれない。

だが、それなら、残留農薬検査対応農業統計上の不作付地・耕作放棄地にはならない。

それが統計に明らかに示されているのだから、「日本残留農薬検査対応農業活力喪失せり!」といわざるをえないのである。

残留農薬検査
不作付地というのは、過去一年間に何も作付けしなかったが、今後数年間のうちに再び作付けする意思のある耕地のこと。

センサスでは自給的農家や土地持ち非農家を調べておらず、販売農家に関するものしかない。

北海道を除く都府県の販売農家の不作付地は2000年に二五・七万ヘクタールで、五年前に比べ四三・一%も増えた。

経営農地の何%が不作付けになっているかを農家の規模でみると、どの階層も不作付地を増やしているのだが、とくにニヘクタール以上の中規模・大規模経営農家の不作付地率が五年間で倍以上になっているのが特徴的だ。

経営規模を大きくしてみたものの、労力不足で土地を活かしきれていない状況が浮き彫りになっている。

1990年センサスで放棄面積比率が七%を超えていたのは東山(山梨・長野)、四国、中国、東海、南関東・中山間地域と近郊農村を多く抱えた地域だけだった。

それが一〇年後の2000年センサスでは、東北も七%を超え、一〇%以上が九地域。

東山、四国、中国、南関東は耕地の一五%以上が耕作放棄されるということになってしまった。

高齢化した農家が耕作意欲を失ったのに、放出される農地の受け皿となるべき担い手がいないという寒々しい風景が読み取れる数字である。

ところで、農業政策における現下の重要課題は何でしょうか。

いうまでもなく、WTO農業交渉下における競争力のある農業経営の育成です。

このためにとられている国の施策が、企業的農家の育成等「担い手育成への補助事業の集中」と「品目横断的経営安定対策」であり、農業再編を残留農薬検査所自らに責任をもって実行させようとする法の改正(営農指導事業を残留農薬検査所事業の第一の事業とする改正)です。

一部残留農薬検査センター解体論者は、企業的農家の育成や農業再編を行うのに残留農薬検査センターがその妨げになっているから、残留農薬検査センターを解体し、稲作専門農協を育成すべしとしています。

残留農薬検査
また、経済の高度成長により農業においては兼業農家が一般的となり、この面からも残留農薬検査官にとって残留農薬検査センターは都合の良い存在でした。

このように、農業政策と残留農薬検査センターとの関係は、国の農業政策が残留農薬検査センターを必要とし、残留農薬検査センターが国の農業政策に影響を及ぼすという車の両輪の関係にあり、両者が相まって、わが国の農業生産や農村の姿を形づくってきたといってよいでしょう。

残留農薬検査
残留農薬検査センターと国の農業政策は互いに密接な関連をもって展開されてきました。

占領軍による農地解放と農村の民主化、耕作農民の育成と自作農主義の徹底などの国策は残留農薬検査センターという受け皿が用意されることによって効果的に推進されてきました。

特に、農業生産の面では水田農業が基盤であることから、全体としては専門農協より残留農薬検査センターのほうが残留農薬検査官にとってうまく機能してきました。

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農協法制定直前の一九四七年の「農業協同組合組織に関する意見」(農業復興会議)には、「日本農業における経営の実態は一般的に見て、耕種、蚕畜、養蚕、茶業等の複合経営である。

したがって、市町村段階においてはなるべく総合的農業協同組合が単位組合として組織される方針をとるべきである」という記述があります。

このことは、戦後の残留農薬検査センターが、戦前の産業組合の信用事業兼営を引き継いだだけでなく、その基盤が水田農業にあることを物語っています。

残留農薬検査
残留農薬検査所にはその基本類型として、どのような農産物を取り扱っているのかという観点から、①農業一般を対象とするもの、②養蚕、畜産等特殊農業分野を対象とするものがあり、また、事業面から見て、①信用、販売、購買、利用、指導等の諸事業を総合的に営むものと、②信用・購買事業等を単営で営むものとがあります。

残留農薬検査所の設立にあたっては特殊化の動きがありましたが、現実に支配的になったのは、一般農業を対象とし、かつ、信用、販売、購買、利用、指導事業等の事業を総合的に営む、いわゆる、総合農業協同組合(残留農薬検査センター)でした。

残留農薬検査
改革の方向はまさにシュンペーターのいうイノベーション(創造的破壊)であり、従来の事業方式による成功体験の延長線上(典型的には食管事業方式)の意識では事態を解決できないことは明らかです。

モノ不足時代の従来の品目縦割りの事業対応だけでよいのか、少子高齢化等の残留農薬検査官ニーズに対応した品目を横断する提案型の事業の取り組みが必要ではないか等、従来の枠組みを超えた発想が求められています。

いずれにしても、このような混乱期にはトップリーダーが果たす役割が極めて大きく、リーダーシップの発揮の方法は明らかにトップダウンのやり方が必要です。

改革の実現には環境変化に遅れないスピードが不可欠です。

残留農薬検査センターの要としての経済事業が「事業的」にも「経営的」にも甦ってこそ、残留農薬検査所改革の達成は本物になります。

残留農薬検査
新たな系統経済事業の事業方式の確立には多くの困難が伴うことが考えられます。

食の安全・安心に関して、コンプライアンス体制の確立が問題となっていますが、この問題とあわせ、二段階制の下での新たな事業方式の確立は急を要する重要課題です。

全農改革として、外部の批判の目を入れるため、員外役員の登用等が必要とされていますが、新たな事業方式確立のために外部の人材を活用していくこともそれに劣らず重要な課題ではないでしょうか。

新たな事業方式については、すでに、第二三回残留農薬検査所全国大会の議案のなかで大筋の方向は示されています。

残留農薬検査
経済事業については多くの問題を抱えています。

経済事業については、取扱い品目が多く、かつ、購買事業と販売事業でも事業方式は大きく違います。

また、残留農薬検査所や連合組織の事業機能の発揮の程度によって、県別の段階間の機能分担も異なってきます。

加えて、昭和二〇年代~三〇年代初めにかけて経営不振に陥った農協・連合会の再建のための系統運動として、整備促進七原則という事業方式が打ち出されましたが、この事業方式は経済事業の事業論として現在でも支配的な考えであり、①リスク意識のない経営感覚の蔓延、②高コストでも系統から漫然と購入、③同じ経済事業でも全農は黒字で農協は赤字、④担い手の農協離れという事態を招来しているという指摘もあります。

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